第11回歴史街道丹後100キロウルトラマラソン その2

懸賞 2011年 09月 23日 懸賞

今日の丹後の天気は曇りのち晴れ。気温33度、湿度88%という予報です。
3時の時点で、むせ返るような蒸し暑さに気が遠くなりました。

ウェアは半袖Tシャツとショート丈のタイツ。ザムストのゲーター、万能バンダナ。

シューズは、5月に福島~新潟196キロを走ったMIZUNOのネクサスです。

すこし大き目のポーチには携帯とお財布、浅間神社のお守り、保険証、iPod、日焼け止め、ティシュと生理用ナプキン(6枚)(無情なことに生理2日目に大会を迎えることになり地獄絵図を下半身に抱えながらのレースになりました)、
サバスのゼリー3個、パワージェル2個、アミノバイタル顆粒3本、塩熱サプリ6つ、キャンディー4つ、スポーツドリンクのペットボトル1本。(中にMUSASHIのリプレニッシュを一袋入れました。)
(ペットボトルは空のものでも1つ持っておき、すこし水をいれて置くと、エイドの無い区間に給水できたり、水をかぶったりできるので便利です)

今年の丹後のスターターは、今年の24時間テレビでランナーを務めた徳光和夫さんです。

「ニューヨークへ行きたいかぁ~!」「おぉー!!」「絶対完走するぞ!!」「おぉ~!」「勝手に行け~っ!」
徳光さんとランナーとの掛け合いで、大爆笑の中、4時半、100キロのスタートが切られました。
1400人近くの100キロのランナーが一斉に走り出しました。

スタート直後は、真っ暗で何も見えません。
道の左側に突起物があるという注意があったので、前方の人の脚の運びをよく見ながら
転ばないように慎重に走りだしました。

今日の天気は曇りのち晴れとのこと。気温も高くなるという予報だったので、日差しが出てからだとかなり厳しい状態になると思い、どうにかお日様が顔を出す夜明けまでに距離を稼ぎたい…
そう思って無謀とは知りながら、キロ6分でいけるところまでいく作戦を取りました。

湿度が高いせいでしょうか、スタートのアミティ丹後を出発して5分も経たないうちに、顔中、体中から汗が噴出してきました。
毛穴を汗がふさいでしまうと上手に体温のコントロールができなくなるので、噴出した汗は、なるべくバンダナで拭くように心がけました。

初めの10キロは57分。まずまずの運び出しです。

スタートして直ぐの七竜峠越えの厳しさには完全に目が覚めました。
ここ京丹後には「羽衣伝説」「七夕伝説」「浦島伝説」など往古からの伝説も残されています。
さすが歴史街道という大会名に偽りなし。
コース上には、静御前の生誕の地、静神社や網野銚子山古墳など、いにしえを偲ぶ様々な歴史遺産が多く見受けられました。

夜が明けて、いつ強い日差しが射してくるかと戦々恐々としていたのですが、遠くにある台風の影響か、空は厚い雲に覆われ、湿度は高いものの、多少の風もあり、随分走りやすく感じます。
それでも汗は滝のように出てきます。エイドごとに水分をとっているため、反対に低ナトリウム症が心配になってきますが受付の際に袋に入っていた「塩熱サプリ」は、口に入れて噛み砕くだけで、塩分と電解質を素早く吸収してくれるので、これには随分助けられました。

七竜峠のアップダウンはきつかったです。
上りはさほどでもないのですが、下りの傾斜が半端ではありません。下りを得意にしていた私は、初めは転がるように嬉々として駆け下りていきました。何人のランナーを抜いたか分からないほどです。

しかし、久美浜湾を回り再びの七竜峠越えは、40キロ辺りで既に腿が上がらなくなってしまいました。
あの日本一過酷だと言われている野辺山ウルトラのメインの馬越峠より下りの部分だけみれば、七竜峠の下りの方が過酷に感じました。

まだ、40キロ。あと半分以上ある…。もう止めたい…。何度も心が折れそうになりました。
更に追い討ちをかけるように、60キロを過ぎる辺りから雲が取れ、鋭い日差しが突き刺してきました。
蒸し暑さと強い日差しで、たぶん32、3度は越えていたような気がします。

56キロ弥栄庁舎は一回目の着替えポイントエイドです。
丹後梨、ぶどう、丹後名物の「ばら寿司」などが振舞われました。

ここで預けた荷物の中に隠し入れていた頼みの「ユンケル」を一本補給しました。

80から先は残りの少なくなっていく距離を励みに頑張れますが、50~80までは気力も体力も無くなったらアウトだと私は考えます。
なので、この60前後のエイドでカンフル剤を注入することを作戦の一つとしました。そして、どんなに食欲がなくても、ごはんやうどんなど、エネルギーになるものを胃の中にいれておくこと。
荷物は重たくはなりますが、ジェルやゼリーなど、すぐにエネルギーになるものを携帯しておくことが重要と考えます。

70キロ地点手前から依遅ケ尾登山口に入っていきます。

ここから85キロまでは急激なアップダウンが4回ほど立て続けにやってきます。
それはまさにランナー殺しの坂でした。

いつ終るとも知れない長い上り坂の先に待っているのは、谷底に落ちていくような感覚の下り坂。
しかし下り坂になってもランナーたちは走りません。それは不思議な光景でした。
普通は上り坂を歩いていくものですが、ここでは皆が下り坂を、ひたすら歩いています。
傾斜が厳しすぎます。
転がってしまわないように無意識にブレーキをかけてしまうので、
皆、一様に膝をやられてしまっているのでしょうか、足を引きずるように歩いています。

ジリジリと突き刺してくる日差し、暑さ、過酷なアップダウン…
私の膝はなんとか大丈夫そうでしたが、相次ぐアップダウンで完全に大腿四頭筋が強い痛みで上がらず、得意の下りでも、タイムを縮められるような走りができません。

上り坂では、こちらは一生懸命走っているのに、歩いているランナーからどんどん追い越されていきます。
苦しくて辛くて、意識もぼんやりしてくる始末。
しかしここが頑張りどころ。

なんとか気を紛らわせようとポーチからipodを取り出し音楽を聴きながら走ることにしました。
YUKIさんの歌は元気がでます。
アップテンポの曲に合わせると意外にリズムよく走れます。

そんな時、いきなり私の中に何かがストンと落っこちてきたような感覚を覚えました。
今まで、あまりに苦しく歩いているのか走っているのか分からないくらいの速度で、ぼんやりと力なく走っていた私の身体に、何かが乗り移ったように、力が漲ってきました。
上り坂をまるで重戦車のごとく、ガシガシとスピードをあげて上っていけます!
自分の身体ではないような感覚です。
こんなことがあるのでしょうか?
もしかしたら56キロ地点で飲んだ「ユンケル」のおかげなのでしょうか?
上り坂は歩くのが当然と思っている私が、歩いているランナーたちを上り坂で、次から次へと抜き去っていきます。
2、3メートル前の風景をしっかり捉え、腕を振り、腿が機械のように規則的に動きます。

意識が集中し、目つきが変わっているのが、自分でも分かります。

そんな私の姿に他のランナー達が、追い抜き際に一様にぎょっとするのが、面白いような、不思議な気持でした。
その目は「あんなにへばっていたアイツが、一体どうしたんだ?」と訴えてくるような目でした。

f0036354_00559.jpgそして、長い長い上り坂をやっとの思いで上りきり、そこからは最後の長い下り坂。
転げ落ちるまま、心のままに転げてみようじゃないかという気持で、腿の痛みを忘れて一気に駆け下りました。そして、駆け下りた先に見えたものは、日本海を臨む本当に素晴らしい風景でした。


その時ipodから流れてきた曲は、大好きなLovepsychedelicoの「Freedom」でした。
青くキラキラと光る海と水平線、美しい白浜、屏風岩、そして抜けるような青空。心も身体も何もかもが開放された気分になりました。
「キレイだ~!!」走りながら大声で叫びだしていました。
そして自然と涙が溢れ出て止まらなくなりました。

丹後ウルトラのコースは、ユネスコの世界ジオパークにも選ばれた京丹後市の経ヶ岬から鳥取市白兎海岸あで広がる「山陰海岸」に含まれています。
こんな美しい風景を今まで知らずに過ごしてきたことが残念で仕方ありません。
きっと私の知らない美しい風景は、この日本にまだ沢山あるのだろうなあと、全ての美しい風景を、何年かけてもこの目で見てみたいという欲望に駆られました。

しかし85キロを過ぎる頃には、私に取り付いたパワーもすっかり底を突き、また以前の力ない走りに戻っていました。

日差しは翳ることなく容赦なく突き刺してきます。「ランナーは左側通行をお願いします」と、スタッフの方から注意を呼びかけられるのですが、日陰はすべて右側にあり、熱中症の危険が頭を掠めます。こんな遠くまで来て救急車で運ばれるようなことは避けたいという一心で、とにかくエイドでは塩を舐め、水を頭からかぶり、水分を取りました。

エイドにはありがたいことにクラッシュした氷が置いてあり、コップに入れて首に当てたり、溶けた水を飲みながら、走りました。おかげで体温が下げられて本当に助かりました。

この大会はエイドが杓子定規に5キロごとではなく、後半になるとランナーの気持に沿った距離にエイドを置いてくれています。
90キロを過ぎると2キロごとにエイドが現れ、最後まで頑張って走る力を与えてもらえました。
94キロ三津小学校エイドで食べたおしるこが美味しかった!

ゴール近くでは街の人たち、大会関係の方々が沢山集って応援をして下さり、「おかえりなさい!」の声に感激の涙が溢れました。
両手をあげたガッツポーズでゴールテープをきりました。
タイムは12時間37分。
100キロをすべて走り終えました。
きつかった、苦しかった。
しかし苦しければ苦しいほど、辛ければ辛いほど、後からそれは、より思い出深いレースになるものです。
まさにこの丹後ウルトラがそんなレースの一つになったような気がします。
今までのウルトラでは辛くて歩いてしまうことが多々あり、走りきったという感覚は味わえませんでしたが、今回はほぼ歩くことなく、苦しさの末の涙を流すことも無く、走りきることができました。

by Ricophoo | 2011-09-23 23:23 | スポーツ

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