やるせなさ35%

懸賞 2013年 08月 24日 懸賞

f0036354_16385030.jpg夏の甲子園 全国高校野球は22日、決勝を迎え、群馬県代表の前橋育英高校が初出場で初優勝という快挙を成し遂げ、その幕を閉じた。
ピッチャーの高橋光成君の活躍がとにかく注目されていたが、その2年生エースを支える3年生の「堅守」が光る素晴らしいチームだったと思う。

高校野球は大好きだが、残念ながら今年はあまりTV観戦する機会に恵まれなかった。

ダルビッシュの活躍した年などは、1回戦目のTV観戦途中で、いきなり思い立って息子と二人新幹線に飛び乗り甲子園まで観にいったこともあるほどだ。

しかし、私が一番高校野球に夢中になったのは、忘れもしない第60回記念大会。
1978年、16歳の夏である。

決勝戦はPL学園対高知商業高校。
PLと言えば、今でこそ誰もが知っている甲子園きっての常勝軍団。
まだあの清原、桑田が高校にも入っていない昔、そのPLが初めて栄冠を手にしたのがこの記念すべき60回大会だ。

この時の決勝戦は、高校野球スレでも、未だ球史に残る名勝負としてランクインするくらいのスゴイ試合だった。

結果は、PL学園が前日の準決勝に続いて奇跡とも言える2-3の9回逆転サヨナラ勝ちで、高知商業高校を破り初優勝した。

PL学園は確かに凄かったが、私は高知商業高校の大ファンだった。
1回戦、2回戦と勝ち進むたび、ツキが落ちてはいけないと、洗濯しない泥だらけの真っ黒なユニホームで戦う高知商業高校ナイン。泥だらけで戦う無骨で一途な、彼らの姿に痺れた。
なかでも私が特に夢中になったのが1番バッターを務めていた明神茂行君だ。
必ずといっていいほどヒットを放ち、先陣を切って塁に出る姿に熱狂した。
明神君の7連続安打は神がかり的なものを感じたほどだった。

高校野球期間中は、勉強そっちのけで新聞の切抜きを透明下敷きの間に挟み、記事やスコアブックを食い入るように眺め、とにかく寝てもさめても明神君一色。常軌を逸するほどの熱狂振りだった。

しかし、女心と秋の空とはよく言ったもので、高校野球が終わり、秋が来て移り気な女子高生の下敷からは泥だらけの坊主頭の高校球児は姿を消した。そしてその後釜にはイギリスのロックバンド、クィーンのフレディマーキュリーが入った。泥だらけの坊主頭の高校生から、胸毛もじゃもじゃのゲイのロックスターへ。節操のないのは昔からか。

今年も高校野球が終わり、そんな大昔の思い出に浸っていた時、ふと何気にスマホでググって検索してみた。

明神君は高校卒業後、明治大学に進んだが、大学野球では活躍の記録がなく、4年次には選手名鑑から名前がなくなっていることから、おそらく退部していたと思われる。
怪我でもしたのだろうか?野球を止めてしまったのだろう。

1級下で甲子園で一緒に活躍した森田君は同じく明治大に進み2番セカンドプレーし春、秋とベストナインに選ばれ、また4年生では主将を務めるなど華々しい成績を残したようだ。
何だか少しだけ切なくなった。
古い高校野球ファンのスレなどでは、未だベストナインに選ばれるほど強烈な印象を残した明神君。
かつて甲子園を賑わした松井が国民栄誉賞をもらい、松坂やダルビッシュが大リーグで活躍し世界中を熱狂させている。そして田中は開幕18連勝で球界の鉄人となった。

彼らは確かに一握りのスーパースターかもしれない。
しかし1978年夏、明神君も彼らと同じように甲子園で日本中を熱狂させた高校球児の一人だった。
過ぎ行く夏、やるせなさ35%の気分である。

by Ricophoo | 2013-08-24 16:34 | スポーツ | Comments(2)

Commented at 2014-03-29 15:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ricophoo at 2014-09-30 21:37
茂樹さん:コメントありがとうございます。
まさか私以外に36年も前の高校野球の一選手だった明神君のことを思い出していらっしゃる方がいるとは感激です!小学生だった茂樹さんの目にも明神君の活躍は印象的だったんですね。
大学で何があったのか分かりませんが残念で仕方ありません。
高卒でプロ入りしていれば阪神とか南海とか、広島あたりに入団して、派手さはなくても玄人好みのいい選手になっていたことでしょう。

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