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仁阿弥道八

懸賞 2015年 02月 15日 懸賞

f0036354_15582664.jpgサントリー美術館で開催中の「天才陶工 仁阿弥道八」展を観に行きました。

恥ずかしながら私が仁阿弥道八という名前を初めて知ったのは昨年オンエアされたテレビ東京の「なんでも鑑定団」でした。
仁阿弥道八(にんなみどうはち)こと二代目高橋道八は江戸時代後期に活躍した京焼の名工です。

「なんでも鑑定団」に登場したのは、江戸時代以来、あるあると言われても誰も見たことがなかった幻の急須9点のセット。
江戸時代の写本に「足利家茶瓶四拾三品図録」と呼ばれる急須の図解集があり、その中から道八が製作したものだということで、依頼人の方の亡くなった奥様の形見の品だとか。

f0036354_166431.jpg2千5百万という鑑定金額も驚きでしたが、私の脳裏に焼き付いたのは、その急須の形でした。
ユニークで素朴で力強く、それでいて遊び心の中にある気品が印象的で「仁阿弥道八」という名前が深く私の心に刻み付けられました。
 
驚いたことに、これまで仁阿弥道八の作品が一同に会する展覧会はほとんどなかったとか。
今回の「天才陶工 仁阿弥道八」展では、ボストン美術館所蔵「モースコレクション日本陶磁」からも12点の仁阿弥作品が里帰りするということで、またとない貴重な展覧会となります。
道八独特の鋭い観察力と卓越した技量を駆使した天才と言われた陶工のユニークでモダンで大胆で、ユーモア冴えわたる作品の数々を堪能してきました。

第1章仁阿弥の父、初代高橋道八
第一章では、道八が陶工として一番影響を受けたであろう父 初代高橋道八作品「銹絵芋頭水指」、また同時代活躍した、仁阿弥の弟・尾形周平の作品「色絵花鳥文急須」、仁阿弥の兄弟子にあたる青木木米(あおきもくべい)の作品などが展示されていました。

第2章 仁阿弥の茶道具と「写し」の技量
野々村仁清以来、京焼の陶工は中国や朝鮮半島のやきものの技法、様式を活かし、上手に写す能力に長けていました。京焼の陶工たちにとって、高級な茶道具の「写し」を再現する技量は成功の鍵を握る重要な能力のひとつであり、仁阿弥もまた「写し」において優れた作品を残しています。 第2章では、仁阿弥道八の面目躍如たる茶道具の数々、なかでも仁阿弥が手がけた「利休七種写茶碗」「色絵花卉図手焙」等の「写し」の精巧さには舌を巻きました。道八の鋭い観察眼、「写し」を自在に操ることのできる技術は全くもって天才のなせる業です。

第3章 仁阿弥の煎茶道具
18世紀後半から19世紀、身分職業を問わず文人たちの間で煎茶道が流行しました。
煎茶道具の需要の高まりに応えるべく、仁阿弥道八も急須や凉炉、煎茶碗を数多く制作しています。
第3章では、道八の煎茶道具を紹介していて、なんでも鑑定団で紹介されていたあの急須9点セットの一部とみられる同じ形をした急須の展示がありました。
添え書きには「最近この急須と同じものが9点発見された」と書いてあり鑑定団の依頼品の出現は仁阿弥道八の研究に深くつながっていることを匂わせました。

第4章 仁阿弥の鉢 懐石の華
第4章では、雪竹文様の手鉢と雲錦手の鉢を中心に、懐石に華やぎをもたらす仁阿弥の鉢が紹介されています。
茶道具の一種である懐石具のなかでも、「鉢」は仁阿弥の個性が強く発揮された器物です。雪の降りかかる竹を描いた雪竹文様の手鉢と桜と紅葉を半分ずつ描いた雲錦手(うんきんで)の鉢は圧巻でした。

f0036354_1692890.jpg第5章 彫塑的作品 置物・手焙・炉蓋
第5章では、仁阿弥の彫塑的作品が展示されていました。
物・手焙(てあぶり)・炉蓋(ろぶた)などの作品は仁阿弥のユーモアと個性でのびのびと表現されたものばかりで思わずくすりと笑みがこぼれます。置くと隠れて見えない底面までもリアルに描写した「色絵猿置物置物」、動物を写実にかたどった「黒楽銀彩猫手焙」「白釉山羊手焙」。茶室に切られた炉を覆う「色絵狸炉蓋」など素晴らしい作品に息を飲みました

第6章 御庭焼の指導者として
仁阿弥道八は自らの五条坂の窯を操業する一方で、地方に招かれ、御庭焼(おにわやき)の指導にも尽力しました。「紀州偕楽園焼(きしゅうかいらくえんやき)」や、讃岐高松藩主・松平頼恕公に招かれて創始した「讃窯(さんがま)」などが知られています。 第6章では、それら御庭焼の作品「染付松霊芝図高杯」、「色絵銹絵桜楓文鉢」などが展示されています。

第7章 新しい時代へ
仁阿弥は五条坂の窯を息子の三代道八に譲り、伏見桃山に隠居して桃山窯を創始・運営し、安政2年(1855)にその生涯を終えました。 三代道八は、父・仁阿弥の作風を受け継ぎつつ繊細な陶技に優れ、四代高橋道八と共に明治時代の京焼を支えました。 現在は、九代高橋道八氏が色絵京焼の茶道具を手がけ活躍なさっています。
第7章では、三代高橋道八の作品「黒釉松葉之図水差指」など先代の作風に学ぶにとどまらず、現代において独自の世界を築こうとする当代道八氏のモダンな中にも気概のある作品を紹介しています。

ユーモア、洒脱、モダン、大胆にして繊細今回の展覧会では、「天才陶工」の名を欲しいまま」にした仁阿弥道八の見事な技に圧倒されました。

若冲、国芳と続き今年は道八 来てます。

by Ricophoo | 2015-02-15 16:02 | アート | Comments(0)

人間国宝展~生み出された美、伝えゆくわざ

懸賞 2014年 02月 01日 懸賞

f0036354_13573795.jpg国立博物館平成館で行われている日本伝統工芸展60回記念「人間国宝展 ~生み出された美、伝えゆくわざ」を見に行きました。

今日、世界で高く評価され認められているメイドインジャパン。
人間国宝とは、その頂点にいる優れたわざや作品を生み出す唯一無二のアーチストと言える人々です。

「人間国宝」は、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の世界で伝統のわざを受け継ぐ優れた工芸家を重要無形文化財の保持者として認定している制度です。
今回は60回記念として物故された重要無形文化財保持者(人間国宝)全104名の方々の名品と併わせて平成館一階の企画展示室では、現在も活躍されている人間国宝、全53名の方々の作品を展示されているという贅沢な展覧会です。
私のような知識のない人間にとって嬉しかったのは、みどころとして3つのテーマで構成されているところでした。

第一章の「古典への畏敬と挑戦」では、国宝・重要文化財を含む工芸の古典の名品と、重要無形文化財の保持者の代表作とを並べて「伝統」がどのように現代に伝えられているのかが分かるような展示となっています。
出土された土器や装飾品などを見ても分かるように日本では古の時代から、花器や茶碗、文箱、または身につける着物など、身のまわりのものに美を求めてきたような気がします。桃山工芸、あるいは茶道具など日本の古典的な工芸品からは、工芸を愛し、その美とともに生きてきた人々の姿がうかがえます。
そうした古典の持つ技と美を目標として、またその造形に影響を受けた人間国宝の方々の作品の数々を、古典の名宝と対峙させて展示されているので古典の威力と人間国宝の妙技に感動もひとしおです。
重要文化財の安土桃山時代の「広沢 志野茶碗」と荒川豊蔵の「志野茶碗」の対比には思わず「どちらも、いい仕事してますね~」と唸りそうになりました。

また江戸中期に作られた友禅染「小袖白縮緬地衝立鷹模様」は、臙脂・藍・雌黄・墨というわずか4色の天然染料でまるで1枚の絵画のような繊細な色彩を表現しています。一方、1954年に製作された田畑喜八の「一越縮緬地鳳凰桐文振袖」は西洋文化の影響を受けつつ、伝統的な友禅技法に寄りながらバリエーションに富んだ化学染料によって鮮やかな色彩と大胆で華麗な模様を描き出しています。
どちらもため息の出るような見事な作品でした。

第二章の「現代を生きる工芸を目指して」では、現代に合った伝統工芸を模索してきた作家たちの作品を、陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸に分け展示されています。
私が今回の展覧会で一番楽しみにしていたのは二代目平田郷陽の「抱擁」です。
平田郷陽の存在を知ったのは数年前「美の巨人たち」という番組で紹介されていた安元亀八と、その弟子平田郷陽の生き人形でした。まるで魂が吹き込まれているかのごとく、そしてあたかも生きている人間のように見える生き人形。江戸中期ごろ盛り場で行われていた見世物興行のため作られていたそうです。その技術の素晴らしさとはうらはらに芸術的な価値を与えられず美術品というより安価な見世物として扱われ、亀八の作品などは興行が終わると廃棄されていたそうです。一度でいいから近くで作品を見てみたいと恋焦がれていた平田郷陽。「抱擁」は、二代目平田郷陽の作品です。体躯を単純化した線でとらえつつ、つややかでなまめかしい女性の本質を象徴的に表現し子を思う母の優しさ、愛情が作品から香り立つようです。見ていて思わず微笑んでしまうような、懐かしさに涙ぐんでしまうような様々な感情が沸き起こってきました。

f0036354_1451996.jpg第三章の「広がる伝統の可能性」では九谷焼を継ぐ三代目徳田八十吉の「恒河」、生野祥雲斎の竹華器「怒涛」など作家の創意と工夫によってこれまでの伝統の概念をくつがえす勢いを持つ作品が多く展示されていました。伝統的な「わざ」をベースとしながらも、創作性や個性的なデザインを重視した美の造形に、これからの未来に向けた日本の伝統文化の可能性を深く感じずにはいられませんでした。

伝統を革進し続けた巨匠たちの競演に、日本人の感性の素晴らしさ、細やかさ、向上心を再認識し誇らしい気持ちになりました。

和風総本舗的に言えば、「日本に生まれてよかった!」と思える一日でした。

by Ricophoo | 2014-02-01 13:43 | アート | Comments(0)

花をめぐる ささやかな楽しみ

懸賞 2012年 01月 23日 懸賞

30代の子育ての合間に、生花やドライフラワーなどを使った
フラワーアレンジメントを少しだけ習ったことがある。
オアシスという柔らかい発泡スチロールのようなものに、おおまかな規則はあるものの
好きな花を好きなようにさしていく。
また柔らかい針金なども利用したり、プラスチックを溶かしたもので花を固定をさせたりと
見た目の優雅さの裏で、意外と手荒な作業を施すので、多少驚いたものだが
生け花ほど格式ばった感じはなく、異国の生け花とはそんなものかと気軽に行え、そこそこ楽しかった。
また出来上がったアレンジメントやリースは、籠に入れたり、室内のドアに吊るしたりとても豪華に見えた。
しかし、その見ごろはせいぜい2、3日。
せっかくの生け花はそれ以上経つと元気がなくなり、一週間もすれば萎れて見る影もなくなってしまう。
萎れてしまった花や枯れてしまった花を捨てる時の切ない感じがどうにもやるせなくて、あまりのめりこむことはなかった。

f0036354_23135464.jpg昨秋石和温泉で初めて押花アートを体験した。
先生が用意した素材の押花を小さな台紙の上にピンセットで載せて思い思いにアレンジしていくのは
アレンジメントフラワーや生け花と同じ感覚だ。
楽しくて時間を忘れた。初めて「押した」作品がコレ。
先生からは「既に教える事なし」の免許皆伝のお墨付きを頂いた。










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自宅に戻ってからも、時々思い出しては「押して」いる。



押花の良さは何と言っても、押してしまえば、押した時点での花の形や色を失わないことだ。
生花の瑞々しさは失われても
花の可憐さや淡い色彩は残すことができる。
花を摘んだときの思いでも一緒に色あせず決して枯れる事はない。

花屋の店先にあるような豪華で大ぶりな花より、小さくて可憐な花の方が好きなので、
道を歩いていいても名もない小さな花や草、木の芽が気になって仕方がない。
道端にひっそりと咲いている小さな花を見つけると
文庫本の間にそっと挟んで持ち帰る。
しっかり押して乾燥させて、押花の素材となるまで、しばしの時間を要する。
この小さな花が押花になる時、果たしてどんな色合いでどんな新しい可憐な表情を
見せてくれるのか、そんなことを考える緩やかな時間が、とても楽しい。

by Ricophoo | 2012-01-23 23:18 | アート | Comments(2)

ルーシー・リー展

懸賞 2010年 05月 29日 懸賞

f0036354_148777.jpg六本木の新国立美術館で行われている「ルーシー・リー展」へ行ってきました。

轆轤に恋をした19歳の日から、脳卒中で病に倒れ93歳でこの世を去るまで実に70年。
うつわにすべてを捧げたルーシー・リーの創作の軌跡を、余すところなくじっくりと堪能してきました。

ルーシー・リーの世界は、私の好きな物、心地よいと思われるもの全てが凝縮されていました。
シンプルモダン、そして清潔なフォルム、長年の釉薬研究を駆使して編み出された様々な彩り、そのオリジナリティ溢れる作品をひとつひとつ眺めていると、女性らしいしなやかさ、瑞々しさ、可愛らしさ、心地よいゆるやかさ、知的な好奇心や探求心で溢れ、見ている私たちを驚きと発見に満ちたルーシー・イン・ザ・ワンダーランドへ誘ってくれます。

「窯を開けるときはいつも驚きの連続」。そう彼女が言うように
ルーシーの作品はそのフォルム一つ、掻き落としなどの細かい装飾の一つ、色合い一つに緻密な研究が施され、その緻密さとは対極にある偶然性を楽しむ遊び心があります。

ざらざらと荒れた肌合いを持つ前溶岩釉の重厚な作品や、バウハウス系のモダニズム風な作品、その存在感に誰もが驚く白釉花器の斬新。ハンス・コパーと出会ってからのシンプルモダン。実験と探求を続け様々な器への可能性を見出そうとする彼女の情熱や技が年代を重ねるごとに円熟味を増してくるのがわかります。

今回の作品展が画期的なのは、その作品のみならず彼女が記した釉薬ノートや注文台帳まで展示されているところです。深い専門知識と緻密な実験に裏打ちされたそのノートには、化学式とイラスト以外余計なことは書かれておらず、なにか謎めいた秘密の暗号のようにも見えます。

会場の中ほどで、ルーシーの作品展のポスターにもなっている青釉鉢の青が目に飛び込んできた時、その鮮やかさに目が釘付けになりました。
実はその青釉鉢の青の作り出すベースのレシピだけは今もって見つからないそうです。

青も素晴らしかったのですが、圧巻はルーシーのピンク釉です。
ピンク釉の基になるのはクロム化合物ですが、その時代にはまだ新しい素材だったクロムやマンガンなどにも興味を持ち研究を続けていたと思われ、後年のルーシーのピンクは熟練の味というか、心や体の中にすーっと溶けていくような感じがしました。
それは紛れもなく、年齢を重ねるほどに積み重ねられていく円熟味です。
年齢を重ねたからこそ積み上げられていくものがあります。

1950年親友のフリッツ・ランプルにルーシーが口述したメモに残された言葉があります。
「陶器製作は私にとって冒険である。新しい創作はすべて新たな始まりである。
私は決して学ぶことを止めないだろう。一般の人たちにとって陶器の形態やデザインはあまり変化のないものだ。しかし、陶器を愛する人たちにとっては尽きることのない感動である。
それは、衝撃的なものではなく、ただ静謐で偉大なものである。」

静かなるカリスマ―。ルーシー・リー
また一人、私の心に刻むべきアーチストが増えました。

6月にはルーシーと強い信頼関係で結ばれ13年もの間、共同制作を続けていた20世紀英国陶芸界の巨匠、ハンス・コパーの日本初の回顧展が汐留で行われます。ルーシー・リーの作品も20点ほど展示されるということなので、今から楽しみにしています。

by Ricophoo | 2010-05-29 01:48 | アート | Comments(0)

皇室の名宝展 日本美の華

懸賞 2009年 10月 22日 懸賞

f0036354_2149861.jpg上野の国立博物館へ、天皇陛下御即位20年を記念して開かれている「皇室の名宝展 日本美の華という展覧会を観に行きました。
土日や祝日ともなると混雑して、ゆっくり鑑賞するどころの話ではなさそうなので、わざわざ平日に休暇をとって観に行きました。
水曜日の午後でしたので、チケット売り場で並ぶことはありませんでしたが、会場に入ると平日の午後でも凄い人で、なかなか作品を近くでゆっくり鑑賞するまでは行きませんでしたが、それでも多分土日に比べたらずいぶんマシな状態なのだろうと思われます。

今回も作品をじっくりと味わいたいので、500円を払って音声ガイドを利用しました。

「皇室の名宝展 日本美の華」は第Ⅰ期(10月6日~11月3日)と第Ⅱ期(11月12日~29日)に別れ
この第Ⅰ期は近世~近代にかけての絵画の名品、第Ⅱ期は正倉院宝物と書、絵巻の名品を展示しています。
この名宝展が行われると知った時から、待ち遠しくて仕方ありませんでした。

狩野永徳、伊藤若沖、横山大観、海北友松・・・・日本絵画史に名だたる大家の、しかもその代表作ともいえる素晴らしい作品の数々が一堂に展示されるなんてまさに夢のような展覧会です。

狩野永徳・狩野常信の唐獅子図屏風、横山大観の朝陽霊峰、友松の浜松図屏風の名品は、さすがに息を飲む素晴らしさでした。
そして、これだけは絶対に観たかった、伊藤若冲の動植綵絵。
なかなかその作品の全てが展示されることがないという、三十幅が、今回一堂に会しました。その緻密で華麗、大胆にて繊細な素晴らしい作品を前に誰もが言葉を忘れ、見とれてしまうので、若沖の作品の前だけは常に人だかりでした。
その他、菊蒔絵螺鈿棚、七宝四季花鳥図花瓶、上村松園の雪月花等々・・・どれも素晴らしくため息が出るばかりです。
皇室へ献上されるために精魂を込め、何年もの歳月をかけて生まれた名品、逸品の数々。
一流中の一流、本物の中の本物。
例えはちょっと違っていますが、ビートルズとベートーベン、モーツアルトとローリングストーンズ、カーペンターズにマイケルジャクソンが同じステージに上って「We Are The World 」を歌っているのを観ているような感動です。

会社を休んでまで観にいった甲斐がありました。

f0036354_21495718.jpg国立博物館を出て、公園をぶらぶらした後、芸大のアートショップで一休み。
さすが芸大、石膏デッサン用のガチャガチャがありました!おもわずコインを投入。
胸板の厚いステキなマルス様が出てきました。

爽やかな秋の日のウィークデーのお休み。何にも考えず好きな絵を見てぼんやり過ごす午後。時間と仕事に追われ忙しい嵐のような日常を離れ、自分にとっては最高の贅沢。たまにはこんな一日があってもいいなと思いました。

by Ricophoo | 2009-10-22 21:44 | アート | Comments(0)

旅 「異郷へ」

懸賞 2009年 08月 27日 懸賞

東京都写真美術館で行なわれている
“旅 第2部「異郷へ」~写真家たちのセンチメンタルジャーニー”を観て来た。
映画の上映時間までの時間つぶしに、ふらりと立ち寄った写真展だったが
展示されていたいくつかの写真から、上質なボディブローを間断なく浴びせられたような
魂の揺さぶりに似た衝撃を受けた。

写真の刹那が好きだ。
時間と空間を切り取る瞬間の潔さ、そして曖昧さ。
その時間、その空間、その一瞬が切り取られて
時を越えて、私をその場所へ、その一瞬へ連れて行ってくれる。
写真はまさしく「旅」だ。

この写真展「旅 異郷へ」は、1960年代後半から80年代前半に
著名な9人の写真家が撮った「旅」に関する作品で構成されている。

1970年に行われた旧国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」。
そのコンセプトは「日本を発見し、自分自身を再発見する」というのがテーマだった。
9人の写真家も、戦後から高度成長期の発展を遂げた、
新たな日本の発見と、自分自身の作品の模索をしながら旅を続けていたのだろう。

中でも、内藤正敏さんの「婆バクハツ!」「遠野物語」のシリーズ
土田ヒロミさんの「俗神」には目が釘付けになった。
グロな中にある神聖なもの。
喧騒の中の静謐さ。
息を止めて、思わず唾を飲み込んだ。

他にも荒木経惟さん、森山大道さんなど人気写真家の作品も
多く展示されていた。

写真も、人生も「旅」である。
自分探しの旅などと洒落たことは言いたくはないが
その一瞬一瞬を模索しながら、他と自己と社会の中で
時に風景を楽しみながら生きていきたい。

by Ricophoo | 2009-08-27 23:41 | アート | Comments(0)

DOMANI・明日展

懸賞 2009年 01月 10日 懸賞

寒風吹きすさぶ中、六本木の国立新美術館へ「DOMANI・明日展2008」を観に行きました。

文化庁では、将来の日本の芸術界を支える芸術家を支援するため、若手芸術家を海外に派遣し、それぞれの分野について研修の機会を提供する、「芸術家存外研修」を昭和42年から行なっています。

この「DOMANI・明日展2008」は、近年派遣された研修生を中心にした15名の作家の作品を紹介していまf0036354_21344722.jpgす。
特定のジャンルに拘らない、様々な分野の芸術作品の数々は
迸るようなクリエイティブな才能、情熱、そして計り知れない可能性で、観ている私たちに正面からストレートにぶつかってきます。
そして、この作品展は、私の目に、頭に、心の奥深くに、強烈な印象を残してくれました。

中でも良かったのが、詩情溢れるフランスの風景を写した、原 直久さんの写真。
天童荒太さんの小説の装丁でその作品があまりにも有名な、舟越 桂さんの造形作品。
「見晴台のスフィンクス」を実際に息のかかる距離で鑑賞できたのが、夢のようです。
絢爛豪華な作品で目が釘付けになったのは切り絵細工の駒形克哉さん。
そして、一番衝撃を受けたのが、石井 勢津子さんのホログラフィー作品です。
このホログラフィーの技術がもっともっと進化していけば、アートとしての表現方法や常識が完全に覆されてしまいそうな予感がしました。

芸術は、私たちに無限のエネルギーを与えてくれます。
私たちが日々流されていくだけの日常、ストレスで疲弊しきって、鈍く錆びれてしまった心を揺さぶり、心の目を覚醒させてくれます。
芸術は私たちを、勇気づけ、時に慰め、そして生きる覚悟さえ与えてくれる気がします。

歴史的に有名な古い重厚な絵画も素晴らしいですが、現代アートには無限の可能性が詰まっています。。
「DOMANI・明日展2008」は、未来に向けて羽ばたく現代アートの旗手たちの鼓動と躍動感が感じられました。

by Ricophoo | 2009-01-10 21:38 | アート | Comments(0)

没後50年 横山大観展

懸賞 2008年 02月 11日 懸賞

f0036354_23264258.jpg六本木、国立新美術館へ
「没後50年 横山大観 ~新たなる伝説へ~」を観に行った。

横山大観と言えば
明治、大正、昭和を代表する
国民的画家の一人である。

横山大観が90歳で亡くなって今年で50年目なのだそうだ。


なんといっても、この回顧展の大きな目玉は
全長40メートルを超える大作画巻「生々流転」である。
「生々流転」とは、万物が移り変わって変化し続けること。
山奥の霧が葉の露となって流れ落ち、
やがて渓流から大河となり、
最後は海に注ぎ込み、
竜になって天に昇るという「水の一生」が
柔らかくも力強い水墨画で描かれている。
息を呑む様な迫力で描かれる水の流れは
観る者の心を捉えて放さない。
しかし、ところどころに、描かれる人々の生活や
川辺にいる動物などが、ほっと優しい気持ちにさせてくれる。

f0036354_23272489.jpg第二の目玉は、大観作品のなかでも
飛び抜けて華やかな
「夜桜」と「紅葉」だ。

豪華絢爛なこの2作品が並べて展示されているのは圧巻だった。
また、初期の有名な作品「無我」
芸大の卒業作品の「村童観猿翁」も観られる。

また、ボストン美術館が所蔵する
「帰牧図」「金魚図」「月夜の波図」「海図」の4作品の展示も
里帰りは珍しく、なかなか観られない作品なので嬉しい限りだ。

私が今回特に一番印象的だったのは「迷児」という作品だ。

キリスト・孔子・仏陀・老子が集る傍に
幼い少女が一人佇んでいる。
その表情は頑ななまでに、一点をみつめ無表情だ。
それに引きかえ、傍にいる偉人達は
優しい人間的な
まなざしを浮かべ少女を見つめ、見守り、微笑む…
温かな春の陽だまりの中に身をおいているように感じる。

本当の意味の宗教というのは、この絵の中に
集約されているのではないかと思う。

4偉人の優しい問いかけやまなざしに
一点を見つめ続ける少女。
どこへいこうとしているのか
迷い悩んでいるようにも見えるその表情は
何を表現しているのか。

21世紀のこの時代は
すべてを受け入れていく
すべてを認めていく時代だと思う。
人種も、宗教も、言葉も、音楽も、思想も・・・

そんな時代が来たのだと
没後50年、時代を超えて
大観は絵画の中から訴えかけている。

人の世も、すべては「生々流転」なのだから。

by Ricophoo | 2008-02-11 23:21 | アート | Comments(0)

ashes and snow ~グレゴリー・コルベール作品展~

懸賞 2007年 05月 06日 懸賞

東京テレポート駅に隣接された
移動美術館「ノマディック美術館」で行なわれている
グレゴリー・コルベール作品展「ashes and snow」を観にいった。

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小さな少年の前にひざまづく巨大なゾウ。
少年はまるでゾウに本を読み聞かせているようだ。
静かに、そして何かを諭すように・・・。




新聞で紹介されていたグレゴリー・コルベールの一枚の写真。
それは、大海に突然訪れた凪のようだった。
私の周りの時空の流れが止まったかのように
その一枚の写真に魅せられた。

これは絵画?それともデジタル画像?

何も判らないまま、
ただただ一枚の写真(と思われる)に引き寄せられるように観にいった。

ノマディック美術館は、日本人建築家の坂茂氏により設計された
5,300平方メートルにも及ぶ仮設美術館だ。
152個の貨物用コンテナで組み立てられた斬新なデザイン。
この「ashes and snow」のための移動美術館として
NY、サンタモニカ・・・そして東京お台場に場所を移しながら旅を続けている。

美術館の中に一歩足を踏み入れた瞬間
そこは静寂と荘厳が漂い、すべては無限の癒しと調和に包み込まれた。

横たわるゾウたちの隣りで安らかに眠る少年。
ゾウに静かに祈りを捧げる少女。
チーターに寄り添い遠くを見つめる少年。
静寂が広がる海中でクジラとステップのないダンスを踊りつづける男性。
それは人間と動物という垣根を越えて溢れ出る愛
エロティックで神秘的なオランウータンと女性の写真。

まるでおとぎ話を絵画にして描かれたようだ。

信じられないが、手漉きの和紙に焼き付けられた写真達は
どの作品もデジタル画像処理や合成は行なわれていないという。

作品には一切の解説がない。
それは鑑賞する人間が自由にイメージを膨らませられるようにとのことだ。

地球という星の元に生まれた動物と人間…
一体誰が?いつからこの小さき生命体に
垣根を作ってしまったのだろう?

太古の昔、人間は動物と対話を続けてきたはずなのに。
コルベールは言う。
「3万年前に人類が自然に接した気持ちと同じように、
自然を敬う気持ち、そして人間と動物の関係を内側から捉えていきたい」と。

写真と映像によるこの作品展は
人間も、地球から生まれた、ただの動物であるということ。
そして心と心が触れ合えば、言葉は要らない・・・。
すべてを超えて対話と融合が可能なのだということを教えてくれた。

by Ricophoo | 2007-05-06 22:26 | アート | Comments(2)

謎のカスハガ

懸賞 2007年 04月 25日 懸賞

私が学生時代から敬愛してやまない
みうらじゅん先生が提唱しているカスハガ

カスハガとは、カスのような絵葉書の略だ。
送っても、送られても、ちっとも嬉しくない絵葉書の事だ。
また絵はがきとして、その本来の意図がまったく意味不明なものも指す。

実は我が家にもカスハガがあった!
数年前に見つけて息子と二人、大感激!大いに笑った。
しかしその後、引越しやら何やらで、すっかりその存在を忘れていた。

ところが、何かの拍子に、カスハガのことを思い出し、
何度か、あのカスハガを見たくて、家捜しを繰り返したが
見つからず、半ば諦めていた。
確かこの引き出しに入れておいたはずなんだが・・・。
もしかして、捨てちゃったかな・・・と弱気な心持になっていたころ。
息子が引っ張り出して放置していたクリアファイルの裏側に
あのカスハガがぴったりと張り付いていた!!
「おおっ~!」
生き別れになった肉親に再会したかのように感激した。
で、で
その見つけたカスハガがコレ↓
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え?よく見えないって?
これでどうだ!↓
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この東南アジア系のご婦人達の体の向きが絶妙。
右のご婦人に背負われている子供は、もしかして死んでいるのでは?
と少しハラハラさせられるのもご愛嬌。
犬がレトリーバー系なのがちょっと気に食わないが
堂々のカスハガだと自負している。
だけど、何故この絵葉書が我が家に存在するのか・・・
今もって謎である。


↓こちらは、上のカスハガに比べたらインパクトと言う点では
かなり見劣りするが、けっこうマニアにはたまらない一品じゃないかと思う
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もし、あなたの元に 
ある日突然この絵葉書が届けられたら・・・?

え?なんでまた、タカアシガニ?
困惑すること間違いなし。
考えると嬉しくなる。
夢とロマンが広がる。
え?単なる嫌がらせ?


誰かにカスハガをそっと送りつけてみたい衝動に駆られるが
捨てられちゃったら嫌なので
これからも、このカスハガたちは大切に保管していくつもりだ。

by Ricophoo | 2007-04-25 01:21 | アート | Comments(6)