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お父さんと伊藤さん

懸賞 2016年 10月 11日 懸賞

f0036354_22271489.jpg渋谷シネパレスでタナダユキ監督作品「お父さんと伊藤さん」を観てきた。
主人公の彩は書店でアルバイトをしている34歳、コンビニのバイトをしていた時に知り合ったバツイチ54歳の伊藤さんと彩のアパートで同棲している。
20歳の年の差カップルだが世代ギャップを感じさせないほど二人の暮しはいたって穏やかでつつましい。自然体で心地いい雰囲気だ。
そんなある日彩の父が兄夫婦の家を追い出され彩のアパートに転がり込んでくる。
昔から厳格で頑固な父のことが苦手だった彩は、二人だけの平凡で穏やかな暮らしを乱されることに腹を立てる。給食のおじさんをやっているという素性の知れない何だか掴みどころのない伊藤さんの存在にムッとするお父さん。そんな二人とは反対に、とくに動じる風もない伊藤さん。

こうして3人の奇妙な共同生活が始まるが、ある日お父さんが突然行方不明になってしまう…。

この映画ほのぼの映画というより社会派的な要素を多く含んだ映画である。
老人介護、空き家問題、若者の働き方や女性の子供を産まない選択等、現代社会が抱えた家族の問題をさりげなく散りばめ、こちらに向けて投げかけてくる。
良い悪いの判断ではない、それぞれの答えを探していくヒントを与えてくれる。
ヒロイン彩を演じる上野樹里、演技なのか素のままなのか分らないほどはまり役の伊藤さんを演じるリリー・フランキーの肩の力が抜けた感がたまらなく魅力的な映画だった。

by Ricophoo | 2016-10-11 21:59 | 映画

第6回東京ごはん映画祭

懸賞 2015年 11月 08日 懸賞

f0036354_2344476.jpg今年で6回目を迎える東京ごはん映画祭が10月31日から11月13日までの2週間、渋谷のシアターイメージフォーラムを中心に行われています。
「東京ごはん映画祭」とは「食」で繋がる人と人を描いた映画や、「ごはん」が印象的な映画を一堂に集めた第一回から毎秋私が楽しみにしている映画祭です。
今年のラインナップとしてはペルーの国民的シェフを追った新作「料理人ガストン・アクリオ 美食を超えたおいしい革命」を始め「グランド・ブダペストホテル」「フライドグリーントマト」「大統領の料理人」「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」「あん」「深夜食堂」「赤い薔薇ソースの伝説」「キッチン・ストーリー」など往年の名作や近年のヒット作など、どれもごはんのシーンが印象的な15作品が並びます。
と言うわけで「深夜食堂」観てきました。
何の情報も持たずに観た映画だったため、観終わった後の感動は筆舌尽くしがたし。
机の奥にしまっておいた小さな箱から宝物を見つけたようなそんな気分になりました。
作品の舞台は新宿花園神社界隈の路地裏。マスターが一人で切り盛りする小さな「めしや」です。深夜12時から朝の7時までの深夜にしか営業しないことから馴染みの常連客からは「深夜食堂」と呼ばれています。メニューは豚汁定食、ビール、酒、焼酎しかありませんがマスターができるものなら言えば何でも作ってくれます。夕方お腹を空かせて我が家に帰って来た子供の頃に戻ったような懐かしく優しい食堂です。
この店を舞台にマスターと客たちとの小さなエピソードや交流を描いた何気ない映画なのですが、登場する人物たちの味わいもさることながら、卵焼き、タコウィンナー炒め、ナポリタン、カレーライス、とろろご飯など、映画の中に登場する何気ない料理が途方もなく見ている私達の胃袋を刺激します。
「深夜食堂」は2006年から小学館「ビックコミックオリジナル」で連載され、その後2009年からはTBSでドラマ化されていたとのこと。
今まで知らずに過ごして来たことを悔やみます。
食欲と芸術の秋どちらも叶えてくれる夢の映画祭、「東京ごはん映画祭」今年も堪能できました。

by Ricophoo | 2015-11-08 22:37 | 映画

チョコレート・ドーナツ

懸賞 2015年 05月 11日 懸賞

f0036354_22282179.jpg5月9日 目黒シネマにてアンドレアス・エーマン監督作品「シンプル・シモン」とトラヴィス・ファイン監督作品チョコレート・ドーナツを観てきました。

目黒シネマはちょっと前にロードショー展開されていた作品からミニシアター系まで邦画洋画を問わず上映してくれる映画ファンにとってはとてもありがたい名画座です。ひねりのきいた組み合わせの2本立て上映で1500円。入れ替え制を採用していないので入場時くれるチラシについている100円の割引券を使えばなんと1400円で一日映画三昧です。

1本目の「シンプル・シモン」はアスペルガー症候群を抱えるSFオタクのシモンがお兄ちゃんの恋人探しに奮戦するコメディ。片や「チョコレート・ドーナツ」は1970年代アメリカでの実話をもとに母親に見捨てられたダウン症の少年と一緒に暮らすため司法や周囲の偏見と闘うゲイカップルの姿を描いた心震える人間ドラマです。
同性愛を含め様々な偏見にさらされるマイノリティの人々が抱える苦悩。ゲイとか障害者とか関係なく、魂のレベルで求め合う愛はまっすぐでひた向きでなんと美しいことか。本当の意味での家族とは?真実の愛とは?深く考えさせられる映画でした。

先週はティム・バートン監督作品「ビッグ・アイズ」とジャンピエール・ジュネ監督作品「天才スピヴィット」を観ました。
来週は長谷川和彦監督作品「青春の殺人者」と川島透監督作品「竜二」です。
更にその翌週はデヴィット・フィンチャー監督作品「ゴーン・ガール」と吉田大八監督作品「紙の月」。心憎いチョイスです。
次はどんなテーマでどんなセレクトでくるのかとワクワクしてきます。

by Ricophoo | 2015-05-11 22:14 | 映画

リトルフォレスト 冬・春

懸賞 2015年 02月 23日 懸賞

f0036354_224396.jpg2月14日渋谷HUMAXシネマで「リトルフォレスト 冬編・春編」を観てきました。
8月下旬に公開された「リトルフォレスト 夏編・秋編」に続いての完結編となります。
前作と同様 舞台は小森という東北のとある村の小さな集落。主人公のいち子が稲を育て、畑を耕し、野山で採った季節の食材から食事を作って食べる毎日が厳しくも美しい自然を背景に静かに淡々と描かれています。
いち子のもとに、5年前の雪の日に突然失踪した母から手紙が来ます。
「私は母さんにとって本当に家族だったろうか?」
今までの自分、そしてこれからの自分を思い心が揺れ始めるいち子。
本当の自分の居場所を探すいち子が春の訪れと共に出した答えとは・・・

今回もいち子が作る美味しそうな料理の数々に、空腹のままこの映画を観てしまったことを深く後悔しました。

f0036354_22434753.jpg甘酒とかぼちゃを使った3色のクリスマス(?)ケーキ、つきたての納豆もち、ばっけ味噌、じゃがいものパン、凍み大根と干し柿、ひっつみ汁とチャパティー
f0036354_22444088.jpgラディッシュの即席漬けと味噌のついた焼きおにぎり、塩漬けわらび、たらんぼ、コシアブラ、コゴミの天ぷら、つくしの佃煮、塩マスとノビルと白菜の蕾菜のパスタ、キャベツケーキ等など
ひとつひとつの料理は自然の中で採れた、その土地で暮らしている方にとっては、ごくありふれた素朴なものでしょう。しかし、観ている私たちにとって登場する料理のどれもが至極おいしそうに感じるのは、その料理のすべてが手間暇がかかるものばかりだったからだと思います。そしてそれは自然の恵み、言い換えれば季節を食べているからなのだと思います。これこそが贅沢、これこそが本当に豊かな生活なのだと思います。
生きることの喜びと食べることの喜びが、いち子が懸命に料理を作り、懸命に食べる姿の中にストレートに伝わってきます。
都市に住む私達にとって自給自足の生活はとても無理なことですが、映画を観ているといち子のように、すべて自分で生み出していく、作り出していきたいという憧れや欲望が刺激されます。しかし自然の中で対峙して生きていくことの厳しさは生半可なものではありません。
人生はらせん階段。ぐるぐると同じ所を回っているように見えても上へ上へと登っていく。
めぐる季節の中で人は少しずつ成長していくのです。
いち子もまた、自然の恵みを食べて、生きる力を充電していきます。不器用な生き方だけど、しっかりと前を向いて、未来に向けて。
日本の四季の美しさが見事な映像とカメラワークで「食」だけではない自然の恵みに心癒されるそんな映画でした。

by Ricophoo | 2015-02-23 22:45 | 映画

おみおくりの作法

懸賞 2015年 02月 02日 懸賞

f0036354_23254497.jpgシネスイッチ銀座でウベルト・パゾリーニ監督作品おみおくりの作法を観てきました。

現在日本ではひとり暮らしの高齢者が600万人に迫るなか孤独死が深刻な社会問題となっています。
日本だけではなく映画の舞台イギリスでも同じような問題を抱えていることを知りました。

主人公は、ロンドンのケニントン地区の民生係として働く真面目な独身男性ジョン・メイ(44歳)
彼の仕事はひとりきりで亡くなった人を見送ること。
言い換えればイギリス版「おくりびと」のような仕事です。

孤独死した人の部屋に訪れて部屋の中の遺品を手掛かりに親族を探し、葬儀や埋葬に立ち会ってもらう人を見つけ、誰も見つからなければ、たった一人で亡くなった方を弔います。
その人に合ったBGMを選び、その人に合った弔辞を書いて心のこもったお葬式を行います。

ジョン・メイにとって亡くなった人たちは、会ったこともない他人です。
公務員の仕事としてなら機械的に、事務的に処理することもできるこの仕事を、ジョン・メイはまるで人間の尊厳を見守るように実に誠意を込めて弔うのです。
彼の仕事は他人からは無意味なものとしか思えないのかもしれません。
ジョン・メイは亡くなった人の気持ちを大切にするあまり調査にとても時間をかけるので、自治体の経費削減のために上司からついに解雇を言い渡されます。

そんなジョン・メイの最後の仕事となったのが自分のアパートの真向いに住むビリー・ストークと言う老人の孤独死でした。
目の前に住みながらも言葉を交わしたことすらないビリーのことが気になったジョン・メイは、ビリーの人生を紐解くために故人を知る人を訪ねイギリス中を旅することになります。
そこで出会うはずのなかった人と出会っていくことで、ジョン・メイ自身にも新たな変化が生まれていきますが…。

死者に想いなど存在しないというのは簡単かもしれません。しかし、どんな人にもそれぞれの人生があります。
人知れずひっそりと亡くなった人たちにだって、確かに生きてきた証があるはずです。
誰かに愛され、誰かを愛し、そしてどんな風に生きて、どんなことに喜びを感じたか。彼らが残した小さな痕跡から彼らの生きた証を探し出し彼らの人生を称え弔うことは無意味なことでしょうか?

社会では、生産性向上のため時間短縮、効率化ばかりが叫ばれています。
私は無駄だと思うもの無意味と思える行為の中にこそ実は大切なものがたくさん詰まっているような気がします。

折しも2月14日から天童荒太さんの映画「悼む人」が公開されます。
ジョン・メイはまさに「おくりびと」でありながらイギリス版「悼む人」そのままです。

悼むことー。それは愛を覚えておくこと。
ジョン・メイ あなたの優しさ誠実さ、あなたが確かに生きていたということを私は覚えておきます。

by Ricophoo | 2015-02-02 23:18 | 映画

繕い断つ人

懸賞 2015年 02月 01日 懸賞

f0036354_225667.pngヒューマントラストシネマ有楽町で三島有紀子監督作品「繕い断つ人」を観てきました。

「食」をテーマに心に優しい灯をともすような感動を与えてくれた「しあわせのパン」から3作目 「繕い断つ人」で三島有紀子監督が今回は「衣」をテーマに、こだわりを持って生きることの覚悟を、温かさと厳しさを軸に凛とした美しい世界にして見事に描いて下さいました。

舞台は神戸。町の頑固な仕立て屋「南洋裁店」
先代の祖母が始めたこだわりの洋裁店を受け継いだ2代目の店主・市江。
彼女が古びた足踏みミシンで作るオーダーメイドの服は大人気。
だけど職人気質の頑固さが災いし量産はできず、市江の服をこよなく愛するデパートの営業の藤井さんからのブランド化の依頼も断り続けていました。
なじみの客たちはここで仕立てた服と共に年を重ね人生を彩ってきました。市江は先代が作った服を繕う日々で満足していましたが・・・。

最新の流行を取り入れながら低価格の衣料を短いサイクルで大量生産・大量販売を目的にしたファストファッション全盛の現代、町の中に時々化石のように寂れて残されている仕立て屋さんを見かけます。
昭和30年、40年代くらいまでは、子供の服は基本母親の手作り。
父や母の背広や訪問着などは仕立て屋さんで作ってもらうのが普通でした。
自分の服ではなくとも仕立て上げられ届けられた長方形の厚みのある箱を開けるときの厳かな雰囲気を思い出します。

劇中「着る人の顔が見えない服なんて作れません」と市江のセリフにハッとしました。

自分だけのために仕立てられた服は世界に一つだけのもの。とても贅沢なことだったんだと今更ながら思います。

安いファストファッションの服は、それなりに気軽に買えて気軽に着られる利点もあります。
そして飽きたり、汚れたり、破れたら捨てればいいと気軽に考えて、粗末に扱ってしまいます。
逆に作ってくれた人の顔が見えないからかもしれません。

寒さや暑さをしのげれば、人はどんな物を身に着けていても生きていくことはできます。
けれど、たった一枚のお気に入りのシャツや素敵な色のスカートを身に着けることで人はどんなに気持ちが明るくなることでしょう。好きな色やデザインの服を身に着けることで勇気をもらえたり、人に優しくできたりします。服には不思議な魔法が詰まっています。

自分だけのために丁寧に仕立てられた服と共に年を重ね生きていくってとても贅沢で素敵なことです。私もそんな洋服が欲しくなりました。

愛する人との初めてのデートで着たお気に入りの洋服を死に装束にしてほしいという、高校時代の恩師。
一生着られる服、一生添い遂げられる服が一枚でもあるって幸せなことです。
たかが服、されど服、本質的な価値観に気付かせてくれる素晴らしい映画でした。

主演を務めるのは控えめな抑えた演技が光る中谷美紀さん。共演には三浦貴大さん、片桐はいりさん、中尾ミエさん、伊武雅刀さん、余貴美子さん。そして全編に彩られた洋服の数々。市江が作業着として着ている服や外出するときに着ていた服が色合いやデザインがどれも本当にシックでため息が出るほど素敵でした。

by Ricophoo | 2015-02-01 21:59 | 映画

アバウト・タイム 愛おしい時間について

懸賞 2014年 11月 02日 懸賞

f0036354_0305197.jpg「ノッティングヒルの恋人」の脚本や「ラブ・アクチュアリー」などで知られるイギリス恋愛映画の巨匠 リチャード・カーティス監督作品アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜」を渋谷シネマライズで観てきました。

主演はドーナル・グリーソン、レイチェル・マクアダムス、ビル・ナイ

今 幸せな人も、そうでない人も大切な人を思い浮かべて観てほしい、とびきりチャーミングでロマンティックな映画です。

物語の舞台はイギリス南西部コーンウォール。長閑な海辺の町に住む内気な青年ティムは、両親と妹、そして伯父の5人暮らし。海辺でのピクニックに週末の野外映画上映会。ちょっと風変りだけど本当に仲のいい家族です。自分に自信のないティムは年頃になってもなかなか彼女ができません。そして迎えた21歳の誕生日、一家に生まれた男たちにはタイムトラベル能力があることを父親から知らされます。そんな能力に驚きつつも恋愛成就のためにタイムトラベルを繰り返すようになるティム。弁護士を目指してロンドンへ移り住んでからは、チャーミングで可愛い理想の女の子メアリーと出会い恋に落ちます。ところが、タイムトラベルが引き起こす不運によって、二人の出会いはなかったことに!なんとか彼女の愛を勝ち取り、その後もタイムトラベルを続けて人とは違う人生を送るティムでしたが・・・。

タイムトラベルという特殊能力を持った主人公の映画は普通、なにかの陰謀に巻き込まれたり、時空や歴史に悪影響が出てくるというようなハプニング続出のSFチックな展開になりますが、この「アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜」は違います。
タイムトラベルという能力を持ったなら、人間は良くも悪くも私利私欲のためにその能力を悪用してしまいそうですが、主人公のティムはタイムトラベル能力をちょっとだけ良い方向へ軌道修正することや、家族や友人のためにしか使わないのです。
なので当然のごとく、この映画に悪役なんて出てきません。
派手な暴力シーンも、激しいラブシーンもありません。
タイムトラベル要素を入れることで人生を是正するという多少のSF性はありますが、普通のイギリス青年の成長の物語、家族の愛と人生の物語、そして人間にとって本当に大切なものとは何かを思い出させてくれる優しく心温まる物語になっています。

「年を取るにつれ、人生に大事なものを描きたくなった。私は車も普通のスピードで運転するし、殺人の経験もなく、スーパーヒーローに出会ったこともありません。愛、家族、友情という、普段の生活に幸せがあると気づくような映画を作りたかった」と語るのはリチャード・カーティス監督ご自身です。

しかしなんといってもショックなのは、本作が監督の最後の作品、つまり引退作品だと公言されていることです。

監督としてまだ3作目、これからまだまだたくさんの名作を世に送り出してほしいと思っているファンは私だけではないはずです。一体どうして?

「この作品を映画監督としての集大成にしようと思う。物語のテーマは家族。恋をして、結婚して、家族を築いていくことの素晴らしさを語っている。まずこの作品に描いた全部のエピソードは、ここ5年間で僕自身に起こったこと。父の死、妹のトラブル、そして娘の病気。今彼女は闘っている。僕は少しでも長く娘のそばにいたいんだ。監督という仕事はほかの事には目もくれず膨大な時間を製作に注ぎ込まなければいけない。今の僕にはそれはできない。作品を見てくれた人たちには、何気ないことがかけがえのないものに変わることを感じてほしい」 
 
「いまは愛する家族と穏やかに暮らしたい」

というリチャード・カーティス監督の決断にエールを贈らずにはいられません。

人はタイムマシンがあれば何でも自分の思いのままにできるのにと思いますが、映画はどんな家族にも起こる不幸や波風は、あらゆる能力を使っても回避することは不可能なのだということを教えてくれます。

ただ人生を幸せに生きるヒントは穏やかな変わらない日常を丁寧に生きること。

自分自身や家族や友人たちと築き上げてきた日々は、自分自身の記憶であり、そしてそれが、かけがえのない人生なのです。

物語の後半、ティムはタイムトラベルを行わなくなっていきます。

なぜなら子供のわずかな成長や今日一日の小さな幸せが小さな失敗も含めて少しずつ積み重なっていくことが家族のかけがえのない未来につながっていくのですからー。

過去は振り返らず前を見つめて生きていくこと、毎日をできる限り一生懸命生きていくことが大切なのだとカーティス監督に教えられた気がします。

これからの人生を共に生きていきたいと思える、天使と出会った息子へー。

この映画を捧げます。

結婚おめでとう!

by Ricophoo | 2014-11-02 00:25 | 映画

リトルフォレスト〈夏・秋)

懸賞 2014年 09月 10日 懸賞

f0036354_22451299.jpg渋谷HUMAXシネマで森淳一さん監督・脚本の「リトル・フォレスト夏・秋編」を観てきました。
「リトル・フォレスト」は2002年から2005年にかけて講談社「月刊アフタヌーン」で連載された五十嵐大介さん作の人気コミック「リトル・フォレスト」が映画化されたものです。
この映画の舞台である小森は東北地方のとある村の中の小さな集落です。
いち子は一度は都会に出たけれど自分の居場所を見つけることができず、ここ小森に帰ってきました。
スーパーやコンビニもない小森での生活はほぼ自給自足の生活です。
稲を育て畑仕事をして、野山で採った季節の食材から毎日の食事を作ります。
生きるために食べる。そして食べるために作る。
現代の人間にとってこれほどシンプルな暮らしがあるでしょうか?
シンプルな暮らしの中で自分の生き方を見つめ直していく いち子の自然な、けれども真摯で懸命な姿に心打たれます。
大量生産・大量消費システムで都会に住む私たちはスーパーやコンビニでいつでも好きなものを好きなだけ手に入れられるようになりました。しかしそこには「生きる=食べる」という当たり前の感覚がありません。
お金を出せば何でも好きなものを買え、お腹いっぱい好きなものを食べられます。
たとえば冬に西瓜を食べたいと言えば食べられる世の中です。
その西瓜はどうやって作られたのか?どこから来たのか?どうして冬に西瓜が食べられるのか?
それを知って食べているのでしょうか?まるでブラックボックスと同じです。
それは本当に豊かな生活だといえるのでしょうか?
いち子は合鴨農法で米を作り、自らその合鴨や沢の岩魚を捌き山菜や森に自生する果実や木の実を採り、調理し、保存します。

「言葉はあてにならないけど私の体が感じたことは信じられる」

自分自身の手を、体を使ってゼロから作物を作り上げていく喜びがそこにはあります。

薪ストーブで焼く自家製パン、麹から作った甘酒にイーストを入れて作った米サワー。手を真っ赤にして作る酸っぱいグミジャム、手作りのウスターソース、ハシバミとココアペーストで作るヌテラ〈チョコペースト〉、ミズとろろ、自家製ホールトマトにアケビのサブジ風、クルミの炊き込みご飯、栗の渋川煮、干し芋、そして圧巻は飼っていた合鴨を自ら解体して料理した合鴨ステーキなど。

次々とテーブルに並べられる旬の料理の数々に、本当の豊かな生活というのはこういうことなのだと思いました。

しかし反対に作物を作るということは実に過酷なことだということもしっかりと描かれています。
作物の成長や収穫は常に天候に左右され、虫や動物と対峙しながら「生」を勝ち取っていかなければなりません。

自分が食べるために作ること、そして生きること。
他の命をいただいて生きるのだという感謝の心。自然の恵みを食べて、いち子は少しずつ生きる力を充電しているように感じます。

「自分の体でさ 実際にやったこととその中で感じたこと。自分の責任で言える事ってそれぐらいだろ?都会では、自分じゃ何もやったことないくせに、知ったつもりになっているような薄っぺらい奴らばっかりだった。」

同じ小森に住む友達のユウ太のセリフが、胸に刺さります。

この映画にはネットやスマホなどは一切出てきません。
都会に暮らしたことのあるいち子は都会の便利さやにぎやかさ、楽しさを知っているはずです。
一人で黙々と農作業を行ういち子、一人でごはんを作って一人でごはんを食べるいち子。
でも不思議といち子が孤独だとは思えないのです。
時々訪ねてくる幼なじみや茶飲み友達のおばさん達。「困ったことがあったら何でも手伝うよ」と言ってくれる優しい郵便屋さん。小さな集落の限られた人間関係の中だからこそ、かえって人と人との温かい繋がりを感じます。
ネットやLINEの中の表面的な繋がりに縋って生きている人間がこの都会にはたくさんいます。
雑踏の中にいても常に孤独を感じてしまう私達にあって、いち子の「ひとり」は決して孤立や孤独ではありません。
いち子の「ひとり」には凛とした潔さがあります。
それは自然の中で生きることに正面からぶつかっていく強さがあるからでしょう。

主演の橋本愛さんはそんないち子の芯の強さと輝きを自然に演じられています。

都会で生まれ育った私には、いち子のような自給自足の生活は、到底できませんが、いち子のように季節を感じ自然の恵みを楽しみながら、ひと手間かけた日々の暮しを丁寧に生きていけたらいいなと思います。

「リトル・フォレスト」は岩手県奥州市にて約1年間にわたってのオールロケを行っているそうです。
今回の「夏・秋編」は夏の始めから山が少し色づく秋の始め頃まででした。東北地方の四季の移ろいを写す美しい映像も併せて次回は「冬・春編」。2月の公開が今から楽しみです。

f0036354_22572675.jpg映画を見終って無印のカフェへいくと「リトル・フォレスト」の公開記念の特別メニューが提供されていました。くるみごはんと手作りウスターソースコロッケ付、トマトサラダ。

この秋は小森の人たちを真似て栗の渋皮煮を作ってみようかな?

by Ricophoo | 2014-09-10 22:41 | 映画

365日のシンプルライフ

懸賞 2014年 09月 07日 懸賞

f0036354_21221038.jpg渋谷ユーロスペースでペトリ・ルーッカイネン脚本監督のドキュメンタリー映画「365日のシンプルライフ」を観てきました。

この映画の監督でもあるヘルシンキで暮らす26歳のペトリは4年前の失恋をきっかけにして
物であふれた自分の部屋に嫌気が差し、全てを倉庫に預けることを思いつきました。
「今自分が持っているものは本当に必要なものなのか?」
自分の持ち物と自分自身の生活をリセットする意味で、すべての持ち物を一旦倉庫に預けて、一日1個ずつ必要なものを持ち帰り、食材以外のものを何も買わないという生活を一年間続けることにします。


初日。雪の降る真夜中ペトリは全裸で倉庫まで走りコートを取ってきます。

二日目は靴、三日目は毛布、四日目はジーンズ、五日目はシャツ…といった具合に。

「最初は何を取り出そうかとワクワクした」とペトリは言います。
ベッドも毛布もない冷たい床にコートだけを身に纏い寒さでなかなか寝付けずにいるペトリの姿に持ち帰る物が一日1個だけという条件は、いくらなんでも厳しすぎるなあと、これから続くであろうペトリの不自由な生活に同情の念さえ抱きました。

しかし、2か月ほどたつとペトリは「何も欲しくなくなった」と言い倉庫から取りに行かない日々が続きます。
まだまだ快適な生活と言えないはずの持ち物の量ですが、コートは全部のボタンを留めて包まれば寝袋の代りになるし、食材は窓の外に出していれば腐らず冷蔵庫の代りになる…。
少しくらい生活に不自由さを感じても物がないすっきりした暮らしのほうが精神的な開放感につながるのかも知れません。

「日々の生活で本当に必要なものは100個くらい。あとは生活を楽しむためのものだった」
多くの物に囲まれていた生活を見直すための荒療治のような実験から、物に対する葛藤や、自分の周りでいろいろ手助けをしてくれる家族や友人、そんな人々との触れ合いのなかでペトリは自分の人生にとって本当に必要な物は何か?本当に大切な物は何か?を発見していきます。

「持っている物の多さで幸せは計れないのよ。人生は物でできていないの」

ペトリのおばあさんが言った言葉が胸を打ちました。

生まれた時から情報や物が溢れ満たされてきた私達は確かに、物を消費することで自分を表現してきた時代がありました。
物で満たされていること、便利なことが必ずしも幸せに繋がるとは思いません。

物がなくてもどうにか工夫して、それに代わる何かで何とかなっていくものです。
確かに生活を楽しみ生活に潤いをもたらすための(くだらない)ものも人間にとっては必要だと思いますが。

物に代わる何かを見つけるために
ペトリのように極端な試みはできませんが、足るを知るということを常に心がけ「これは自分にとって本当に必要なものなのか?」と自分自身に問い直しながら自分なりのシンプルライフを実践していこうと考えています。

by Ricophoo | 2014-09-07 21:15 | 映画

あなたを抱きしめる日まで

懸賞 2014年 03月 21日 懸賞

f0036354_0432355.jpgスティーヴン・フリアーズ監督作品「あなたを抱きしめる日まで」(原題PHILOMENA」)」を観てきました。
原題のとおり、この作品は実在するアイルランド人の主婦フィロミナ・リーさんが2009年にイギリスで出版された実話を映画化したものです。

1952年のアイルランド・ロスクレア。18歳で未婚の母となったフィロミナは親から強制的にカトリックの修道院に入れられます。そこでは同じ境遇の少女たちが「堕落した女」と見なされて出産の面倒を見る代わりに過酷な強制労働を強いられていました。フィロミナは産まれた子供をアンソニーと名づけ1日1時間の面会しか許されない中でも我が子を懸命に愛し、そして生きがいにしていました。
ところが3歳になったある日、息子のアンソニーを修道院が金銭と引き換えにアメリカに養子に出してしまいます。
フィロミナは成すすべもなく「絶対に息子の行方を捜さない、誰にも息子のことを話さない」ことを誓約書に署名させられます。
それから50年後、フィロミナは、隠し続けてきた秘密を娘のジェーンに明かします。
50年の間一瞬たりとも忘れたことのない引き離された息子への思い―。
その思いを受け止めた娘のジェーンは知り合いの元BBCのジャーナリスト マーティンに相談します。エリートジャーナリストとして活躍していたマーティンは、あるスキャンダルで職を追われ失意のどん底にいました。高尚なテーマしか興味のないマーティンでしたが、フィロミナの話を聞くうちに再起のチャンスと捉えて、二人でアメリカへ息子探しの旅に出ることになります。共通点のない凸凹コンビの旅の始まりです。

この「あなたを抱きしめる日まで」は暗く悲しいシリアスなテーマですが、コメディの要素を取り入れ、ユーモアを作品のなかに散りばめることによって観客が物語に自然に入って行くことができるようになっています。
主人公はロマンス小説が大好きで、どんな小さなことでも感謝を忘れない、ちょっと世間知らずな可愛いおばあちゃんを名優ジュディ・デンチが茶目っ気たっぷりに演じています。

緩急の使い方が実に見事でスティーブン・フリアーズ監督の演出の妙を実感しました。

修道院が行った行為は人身売買です。修道院は神の名を借りた邪悪な行為を隠すために「アンソニーの行方は分からない、なぜなら証拠は教会の火事によって全て消失してしまった」と言うのです。実は火事などではなく、自分たちに都合の悪い証拠書類を焼却炉で燃やしてしまったのです。これは神に仕える宗教家の人間のする行為でしょうか?映画を見ながら怒りに震えました。
フィロミナのかつて書いた宣誓書だけは奇跡的に残っていたと都合のいい偽りの証拠まで突きつけるのですから呆れてモノも言えません。

アメリカへ渡った二人は細い糸を手繰るようにアンソニーの行方をさがしますがなかなか手がかりを見つけられません。
始めは期待に胸をふくらませ渡米したフィロミナでしたが、「息子がホームレスだったら?」「麻薬中毒だったら?」「刑務所に入っていたら?」と息子との再会という現実を前に、不安を漏らします。
そんな中、マーティンが移民局のファイルにアンソニーの記事を見つけます。
アンソニーはアメリカ人夫婦の養子にされていました。
マイケル・ヘスという名前になり、保守的な家庭に育ち優秀だった彼は成長し弁護士になっていました。
レーガン政権においては共和党全国委員会の法律スタッフとなり、ブッシュ政権下では主席法律顧問にまで登りつめていたことを知ります。
奇遇にも政治記者だったマーティンはアンソニーを取材したことも分かりました。
「私のもとでは、こんなに立派にはなれなかったわ」フィロミナは嬉しそうに、そして少し寂しそうに呟きます。
しかし、本当の現実は残酷でした。アンソニー・・・つまりマイケル・ヘスは数年前に病死していたのです。死因はエイズでした。そして彼はゲイでした。
フィロミナは、数奇な運命を辿った息子の生涯を悲しみました。
しかしフィロミナは彼がゲイだったと聞いても少しの同様も見せません。
「分かってたわ。あの子は少し繊細なところがあったから・・・」
フィロミナは、驚かなかったというより、聞いた瞬間に息子の全てを受け入れたのだと思います。

80年代初頭のレーガン政権は所謂ホモフォビア(同性愛を嫌悪する人々)の巣窟でした。その中枢にいた彼の苦悩、葛藤は計り知れないものがあったと思われます。

フィロミナとマーティンはマイケルのことを少しでも知るべく、マイケルの恋人だったピート・オルソンとコンタクトを取ろうとしますが、ピートはフィロミナ達を拒絶します。
なぜ?どうして?マイケルはフィロミナを憎んでいたのでしょうか?
二人が諦めかけたとき、マーティンはマイケルの写真に重要なメッセージとも言えるものを見つけます。それはマイケルのジャケットに輝く、アイルランド・ケルト族のハープを象ったピンバッチです。
マイケルは母の国であるアイルランドを憎んではいなかったのです。
そしてフィロミナとマーティンはピートの自宅を訪ねます。
そこで、マイケルの幼い頃の写真、ピートと出会った頃の写真など、マイケルが人生を謳歌して生きていたことを知ります。
そして病に冒され、ピートと二人で生みの親であるフィロミナの消息を訪ねアイルランドの修道院まで来ていたという衝撃的な事実を知ることになります。
無理やり引き離されたあの日から、フィロミナは一日たりとも息子のことを忘れたことはありません。
そして息子も死の淵に立ち、自分を産んでくれた母に一目会いたいと、病をおしてアイルランドまで会いに来てくれていたのです。
夢にまで見た瞼の息子は、実は手を伸ばせば触れ合える、すぐそこにまで来ていたのです!
しかし修道院では、会いに来たマイケルにフィロミナが面会を拒絶していると嘘をついて追い返していたのです。
フィロミナがそんな仕打ちをされる理由はどこにもありません。
映画を見ながら、怒りで体が震えました。
これが神様に仕える人たちのすることでしょうか?
人間の心を持っているとは到底思えない、優しさのかけらもない悪魔の所業です。

そしてマイケルが亡くなった後、養父と埋葬地のことで揉めたピートは、マイケルの意思を尊重し、彼が産まれたアイルランドの修道院にお墓を建てていたという二重の衝撃的事実。
マイケルがアメリカではなく、アイルランドへの埋葬を希望したこと、それは母国へ埋葬されることで、母親の中に帰ると言うことを意味していたのではないでしょうか?

フィロミナとマーティンの旅は、スタート地点のアイルランド・ロスクレアの修道院に戻りました。
見ている私たちの気持ちを代弁してくれるかのように、嘘つきの憎むべき修道院とシスター達に怒りをぶつけるマーティン。
しかし、そんなマーティンを前にフィロミナは静かに言います。
「私はあなたたちを赦します」と。
寛容と慈悲に満ちあふれたフィロミナの表情と言葉には限りない母の愛の深さを感じずにはいられませんでした。

イエスが弟子たちに教えたキリスト教の中心的な「主の祈り」があります。

「我らに罪を犯すものを我らが赦す如く我らの罪も許したまえ」

キリスト教の神は本来 裁く神ではなくコンパッション(慈悲)そのものの神であると言われています。神に愛され、赦されていることを知るからこそ、他者を赦すことができるのです。

フィロミナは修道女たちなんかよりもずっと神の慈悲と言うものを知っていたのです。

フィロミナは現実の息子を抱きしめることはできませんでした。
しかし彼女は神様から抱きしめられ、抱きしめられていることを知っていたからこそ、更に大きな愛で、息子の人生の全てを、そして神様までもを抱きしめることができたのではないかと思います。

映画のモデルとなったフィロミナ・リーさんは一度カトリックの信仰を捨てましたが、再び信仰に戻り今でも教会で蝋燭を灯し祈り続けていらっしゃるそうです。

by Ricophoo | 2014-03-21 00:24 | 映画