カテゴリ:スポーツ( 104 )

懸賞 懸賞

Qちゃん

懸賞 2015年 07月 12日 懸賞

f0036354_9352758.jpg日、いつものように会社帰り皇居を2周して汗だくでジョグリスに戻ってきたら
あの高橋尚子さん(Qちゃん)がいらっしゃいました。
自身のラジオ番組の取材で来られていたようです。
マラソン大会のゲストとして1、2回ちらりと遠くから拝見したことがあるくらいで、実際に近くでお会いしたことがなかったので、その背の高さとスタイルの良さにびっくりしました。

何となくオリンピックの時のショートカットのヘアスタイルのイメージが頭に残っていて、もっと小柄な幼い印象を持っていましたが、サラサラのロングヘアとモデルさんのようなスリムなスタイルのQちゃんは本当にうっとりするくらいきれいな大人の女性でした。

シャワーを浴びてフロントに出たら、まだいらっしゃったので、思い切って声をかけたら、本当に気さくにお話をして下さいました。
なんと30分近くもランニングの話や体のケアのアドバイスまでしていただいて夢のような時間を過ごすことができました。
年齢と共に低下してくる体力や走力には、無理のない練習方法や運動後のケアが大切なのだそうです。

f0036354_9363598.jpg牛乳パックに水を入れて凍らせた氷のスティックをクルクルと患部に当てていくというQちゃんオリジナルのアイシングの仕方まで伝授していただきました。これは保冷剤を使用するアイシング方法より凍傷にならずに済むとか。

一緒に写真を撮ってもらったり、握手をしてもらったり…オリンピックの金メダリストや国民栄誉賞を受賞された方とは思えない、少しも驕り高ぶったようなところのない気さくな優しい方で、ますますファンになりました。

by Ricophoo | 2015-07-12 09:36 | スポーツ

野沢トレイルフェス

懸賞 2014年 08月 10日 懸賞

f0036354_22374822.jpg8月9、10日長野県野沢温泉村で行われた野沢トレイルフェスにお師匠とお師匠の会社のIさん、Sさん達と参加してきました。
「冬は一大ウィンターリゾート地の野沢温泉村。その大自然を夏に思いっきり楽しもう!」をテーマにトレイルランニング・マウンテンバイク・ストライダーレースを同時開催!絶景を見下ろしながら爽快に駆け抜けましょう!というのが、この「野沢トレイルフェス」のコンセプトです。

遡ること数か月前、お師匠に坂道を下るだけのレースに参加しないかと誘われ、何度も「下るだけか?」と確認してからエントリーを決めたレースです。
「温泉」「フェス」「バーベキューパーティー」「ダウンヒル」という甘い言葉に惑わされたのが間違いの始まり。
マラソンレースの世界で「健康」とか「ファミリー」とか「ポップ」などと言った緩い言葉の陰に隠された「地獄」を今まで嫌というほど味あわされてきたというのに。

折しも台風11号が四国に上陸し、日本列島を嵐に巻き込みそうな不穏な気配を漂わせていたため、レースが中止になっても温泉に入って帰ってくればいいんじゃないの?と我々一行は早朝の6時30分 新宿発の大会がチャーターした高速直行バスに乗り込み、リゾート気分で出発しました。
しかしリゾート気分はすぐに消え去りました。
夏休み初日の土曜日、9日は帰省ラッシュのピークだとテレビで言っていたとおり、道路は渋滞につぐ渋滞。最初の休憩地点、上里インターあたりで既にどっと疲れがたまってきました。
高速道路でも渋滞ばかりで、レース受付終了の12時になっても私達はまだバスの中でした。
既に新宿を出発して6時間以上が経っています。
私の参加するショート(12キロ)のスタートは13時。
お師匠とIさん達は13時15分スタートのロングトレイル(28キロ)のコースを走ります。荷物はバスの下のトランクの中。準備も一切できない状態です。いったい私たち直行バス組はスタートに間に合うのでしょうか?

何とか12時30分現地に到着。慌てて受付をして荷物を預け、スタート地点のある上ノ平のやまびこ駅までゴンドラで15分。準備を済ませてスタートラインに付いたのは、なんとスタート10分前でした。
6時間半もバスに揺られ、エコノミー症候群一歩手前の状態で、アップもなし、どこをどんなコースで走るのかという情報もなし。
周りを見回すとトレイルフェスというだけあってオシャレな雰囲気の若い女性ランナーや、かっこいいトレイル装備を身にまとった気合の入ったシリアスランナーが沢山います。
ペットボトルを入れたいつものボロボロのウエストポーチで、まるで近所をジョギングするような格好のランナーは、どうやら私だけのようで非常に恥ずかしかったです。
頭や体の整理もつかない状態で何が何だかわからないままスタートの号砲です。

そう、確かに。
スタートから2~300mくらいは確かにロードを下ったような気がします。
しかし、そこから2~3キロ予想だにしなかった上り坂が続いていきました。
「こ、これは何かの間違いでは?」
「下り坂って聞いてやって来たんですが?」
「日本初のダウンヒルオンリーのコースってどこの話でしょうか?」
白目を剥きながら息も絶え絶えで山道を駆け上ります。
またもや優しく甘い言葉の先に隠された「地獄」を見てしまいました。

「がんばってくださ~い!」
コース案内に立つ笑顔のボランティアさんの胸倉を掴みかかりたくなる衝動を抑えるのに苦労しました。

ヒィヒィという悲鳴にも近い息遣いで涙目になりながらも何とか止まることなく走り続け
ようやく「ここからは下り坂ですよ~」という神の声が聞こえる所までやってきました。
「その言葉をどれほど待っていたことか!」
今までの鬱憤を晴らすかの如く、なだらかな山道を一気に下っていきます。
しかし、足元は木の根っこが縦横無尽に張り巡らされており、慎重に足を運ばなければなりません。しかも地面がぬかるんで非常に走りにくい箇所がずいぶんありました。
さらにロングトレイルの部のエリートランナー達がものすごいスピードと動きで私たちの脇をすり抜けて駆け下りていきます。危険な場所で接触でもされたら滑落する可能性もあるのでヒヤヒヤしました。
なのでなるべく邪魔にならないように脇を通ったり後方に気配を感じるように随分気を使いました。

面白いように下りが続いて走りも興に乗ってきたとき、いきなり絶壁のような下り坂が目の前に現れました。
いくら下り坂とは言っても、限度というものがあります。
スピードも出ていたため危うく体ごと転がり落ちそうになりました。
しかも辺り一面雲海のようなガスが広がり視界がかなり悪くなっています。
急に現れたガスと異常なほどの下り坂にアゲアゲだったテンションが一気にダウン。
腰抜けという言葉そのまま、文字通り這う這うの体(ほうほうのてい)で絶壁を下り終えました。

後は日影ゲレンデまでの広々とした緩やかな草原を下るだけです。
ゴールが見えてくると俄然スピードがアップします。
「うりゃぁぁ~」
ゴール前3、4人の男性ランナーを抜いて1時間03分でゴール。
総合10位でした。
何とか転倒やケガもなく無事走り終えることができました。

12キロというショートコースでしたが、生まれて初めてのトレイルランレース。
山はゆっくりと歩いて登るものだというイメージがあるので、走って山を登るトレイルランに対していろいろ考える所もありましたが、何事も体験してみないとわからないこともあるものです。
自然の中、鳥のさえずりや、そよぐ風を受け緩やかな坂を駆け下りる心地よさは言葉で表せないほど楽しいものでした。
それと同時に、ぬかるみや足元の悪い箇所では、無意識に自分の身を守ろうと草の生えたところに足を置いてしまいます。
山歩きでは踏まなくてもいい植物をレースでは必要悪のように踏んでしまいます。
私一人ではなくレースに参加した人たちが各自の必要悪で自然を荒らしているような気がしてなりませんでした。
冬場はゲレンデとして使用されているコースだからこそ、トレイルランのコースとして使えるのかもしれませんが植物にとってははた迷惑な話かもしれません。

世の中には経験しないと分らないこと、経験したからこそ見えてくるものがあります。
自分の意見を曲げない頑固さも必要な時もありますが、食わず嫌いはもったいないです。
いろんなものをいろいろ食べて自分なりの血や肉となっていけばいいのかなと思います。
同じものを食べ続けるかどうかはわかりませんが、そこは自分の判断や感覚で
これからもいろんなことにチャレンジしていきたいと思っています。

by Ricophoo | 2014-08-10 22:23 | スポーツ

京都マラソン2014

懸賞 2014年 03月 01日 懸賞

f0036354_0492587.jpg2月16日、第三回
京都マラソンを走ってきました。
14日金曜日の午後から降り出した雪は2週連続の大雪をもたらし、関東一円に大きな被害が出ました。東横線では雪の影響で15日未明に元住吉で衝突事故が起きてしまい電車が不通となっていました。15日の朝、新横浜から新幹線で京都へ向かう予定だったのですが、早々と新横浜を諦め、品川から新幹線に乗り込みました。
東京は雪に埋もれてまともに歩けない状態でしたが、京都は雨。雪はかけらも降っていませんでした。
気温も思ったほど寒くはありません。日本は狭いようで広いなあと実感しました。

ホテルに荷物を預け、マラソン受付会場のある、東山の「みやこメッセ」へ。
みやこメッセでは前日受付を済ませ、マラソン当日の朝 京都駅からスタート会場の西京極競技場まで行くシャトルバスのチケットを買いました。地下鉄を利用してもいいかと思いましたが、当日朝は混雑が予想されるうえ慣れない土地でもあるため、シャトルバスの方が安心だと思ったからです。

未明まで降り続いた雨も6時前には上がり、2月16日、マラソン当日は気持ちのいい晴天となりました。しかしその分冷え込みは厳しく、最低気温は3℃。(これが噂に聞いた京都の冬の寒さなのか!)(当日の最高気温は9℃まで上がりました。)
朝6時30分、京都駅バスターミナルから続々とマラソン参加のランナーの人たちを乗せたシャトルバスが走り出します。西京極競技場までは京都駅から12、3分ほどで到着しました。(バスで正解でした!)

京都マラソンは、西京極競技場スタート、平安神宮がゴールのワンウェイコースなので、荷物をトラックに預けて運んでもらうようになっています。早々と荷物を預けてしまったので寒さよけにカイロを貼ったり、ゴミ袋を被っていましたが、スタート時間まで約1時間ほどの待ち時間の間に体がすっかり凍えてしまい、かなり辛かったです。

9時、スタートの号砲とともに、1万6千人のランナー達が西京極競技場を後にして、西五条通りへ走り出します。
暮れの高校駅伝の中継でおなじみの景色を今実際に走ってるんだなと思うと、小さな感動を覚えました。
葛野大路五条で左折、さらに四条通りを西に進んで嵐山の方向に向かいます。
罧原堤に出ると、雪で真っ白になった嵐山が正面に見えます。左には桂川の清流。
しばらく行くと渡月橋が見えてきました。昨年の大雨の被害から見事立ち直った姿が実に感動的でした。
その後、大覚寺門前の交差点を通過。広沢池のほとりに出ました。

f0036354_0561435.jpgそして世界遺産の仁和寺。なんと言っても一番びっくりしたのは、その仁和寺の和尚様達が総出で私たちランナーを応援してくださったことです。京都マラソンの醍醐味とも言える瞬間です。
きぬかけの道を通り、西大路通りへ。さらに北大路通りから紫竹の街並みを抜けると、鴨川のほとりに出ます。北山通りへ入り、正面に見える雪化粧した比叡山の姿がきれいです。ノートルダム女子大のあるあたりから左へ折れて京都国際会館へ続く道は、京都マラソン名物地獄の「狐坂」。中間点を少し過ぎたところでくる最大のヤマ場とも言えます。「な、なんじゃ~!こりゃ?」と思わず口に出てしまうほどのきつい勾配の上り坂でした。
実は、この狐坂を超えたあたりのエイドで、生八ツ橋が振舞われたそうなのですが、バナナかなにかだと思って素通りしてしまいました。残念!

f0036354_119949.jpg北山大橋を渡ってからは、再び鴨川沿いのコースになります。途中からは車道から下りて土道の河川敷を走ります。30キロ過ぎてかなり足にきていたため、この鴨川の河川敷の柔らかい地面は足に優しくとても走りやすかったです。鴨川を渡り、京都大学の脇を通って百万遍の交差点を右折すると、残り5kmです。東大路通りを左折して丸太町通りへ。もう終わってしまうのかという名残惜しさを感じながらの残り2km。そして平安神宮の赤い大きな鳥居が見えてラストスパート!ゴールでは羽織袴姿の京都市長さんがハイタッチで迎えてくださいました。
タイムは3時間48分。無事完走することができました。

メダルをかけてくださるボランティアの方、誘導をしてくださるボランティアの方、一人ひとりが、ランナーひとりひとりに心を込めて、「おめでとう!」「お疲れ様!」と声をかけてくださいます。走り終えてからメダルやタオルを受け取り、チップの回収を済ませ、更衣室に辿りつくまでの距離がとても短く、誘導もスムーズで、ゴール後のランナーに優しい運営を感じました。更衣室はみやこメッセの広々としたフロアなので、もちろん暖かい室内です。

f0036354_1173248.jpg更衣室の中には、なぜか舞妓さんがいて、一緒に記念写真をとってもらえるコーナーがあったので、もちろん私も記念にパチリ。

京都マラソンは今回初めての参加でしたが、京都らしい風光明媚な景色を楽しめる素晴らしい大会でした。
しかしそれ以上に感動し、驚いたのは、その応援の凄さです。

京都マラソンは、東京マラソンのように沿道に二重、三重の人垣はでききませんが、とにかく道沿いに人が途絶えることなくいて応援してくれるのです。しかもボランティアの方、一般の応援の方、ほぼ全員が、ひとりひとりに声をかけてくれるのです。
そして何といってもハイタッチの嵐。小さな子供から車椅子のお年寄りまで、走ってくるランナーに笑顔で手を差し伸べてくれるのです。
ハイタッチをしたあと小さな子供はぴょんぴょん跳ねて喜んでくれるのです。
そんな姿を見たら、もう嬉しくなって、ハイタッチせずにはいられなくなってしまいます。

結局ゴールまで「ありがとうございます!」と言い続け、ハイタッチしまくるという、かつて経験したことのないフルマラソンとなりました。

実はここ3年以上フルマラソンを走る機会がなかったため、今回の京都マラソンは、完走できるかどうか正直不安でもありました。
しかし京都の人たちの温かい応援でゴールまで走らせてもらえたと言っても過言ではありません。
残りの距離が少なくなってくるのが、こんなにも名残惜しいマラソンなんて今までありませんでした。

「おきばりやす!」優しく温かい京言葉が今でも心の中に響いています。

今回の京都マラソンに合わせ、私たちランナーと同じコースで世界の宗教者による日本初の「Inter Faith駅伝~平和を願う祈りの駅伝」も行われていました。
海外からの8人を含む仏教やキリスト教、イスラム教、神道など40人が10チームに分かれ「祈りの駅伝」と書いた襷で42.195キロを繋いだそうです。
宗教はともすれば争いのもとになる場合もありますが、宗教の垣根を超えて震災復興を祈り、すべての人々の平和と幸せを願い、襷を繋げていくことで、心をひとつにするこういう試みは本当に素晴らしいことだと思います。

時間に追われ、記録を競って走るマラソンも時にはいいでしょう。
しかし、こういう人の優しさや温かさに触れ、人間っていいものだなと感じながら走るマラソンは実に味わい深いものがあります。
フルマラソンを走れる健康な体があることに感謝しながら、京都まで来て走ることのできる環境を与えてくれたたくさんの人達に感謝をしながら、自分自身にとっての走ることの意味や目的を見つめ直すいい機会となりました。この年齢になって初めてマラソンの新たなる魅力を一つ発見したような気分です。

by Ricophoo | 2014-03-01 00:50 | スポーツ

やるせなさ35%

懸賞 2013年 08月 24日 懸賞

f0036354_16385030.jpg夏の甲子園 全国高校野球は22日、決勝を迎え、群馬県代表の前橋育英高校が初出場で初優勝という快挙を成し遂げ、その幕を閉じた。
ピッチャーの高橋光成君の活躍がとにかく注目されていたが、その2年生エースを支える3年生の「堅守」が光る素晴らしいチームだったと思う。

高校野球は大好きだが、残念ながら今年はあまりTV観戦する機会に恵まれなかった。

ダルビッシュの活躍した年などは、1回戦目のTV観戦途中で、いきなり思い立って息子と二人新幹線に飛び乗り甲子園まで観にいったこともあるほどだ。

しかし、私が一番高校野球に夢中になったのは、忘れもしない第60回記念大会。
1978年、16歳の夏である。

決勝戦はPL学園対高知商業高校。
PLと言えば、今でこそ誰もが知っている甲子園きっての常勝軍団。
まだあの清原、桑田が高校にも入っていない昔、そのPLが初めて栄冠を手にしたのがこの記念すべき60回大会だ。

この時の決勝戦は、高校野球スレでも、未だ球史に残る名勝負としてランクインするくらいのスゴイ試合だった。

結果は、PL学園が前日の準決勝に続いて奇跡とも言える2-3の9回逆転サヨナラ勝ちで、高知商業高校を破り初優勝した。

PL学園は確かに凄かったが、私は高知商業高校の大ファンだった。
1回戦、2回戦と勝ち進むたび、ツキが落ちてはいけないと、洗濯しない泥だらけの真っ黒なユニホームで戦う高知商業高校ナイン。泥だらけで戦う無骨で一途な、彼らの姿に痺れた。
なかでも私が特に夢中になったのが1番バッターを務めていた明神茂行君だ。
必ずといっていいほどヒットを放ち、先陣を切って塁に出る姿に熱狂した。
明神君の7連続安打は神がかり的なものを感じたほどだった。

高校野球期間中は、勉強そっちのけで新聞の切抜きを透明下敷きの間に挟み、記事やスコアブックを食い入るように眺め、とにかく寝てもさめても明神君一色。常軌を逸するほどの熱狂振りだった。

しかし、女心と秋の空とはよく言ったもので、高校野球が終わり、秋が来て移り気な女子高生の下敷からは泥だらけの坊主頭の高校球児は姿を消した。そしてその後釜にはイギリスのロックバンド、クィーンのフレディマーキュリーが入った。泥だらけの坊主頭の高校生から、胸毛もじゃもじゃのゲイのロックスターへ。節操のないのは昔からか。

今年も高校野球が終わり、そんな大昔の思い出に浸っていた時、ふと何気にスマホでググって検索してみた。

明神君は高校卒業後、明治大学に進んだが、大学野球では活躍の記録がなく、4年次には選手名鑑から名前がなくなっていることから、おそらく退部していたと思われる。
怪我でもしたのだろうか?野球を止めてしまったのだろう。

1級下で甲子園で一緒に活躍した森田君は同じく明治大に進み2番セカンドプレーし春、秋とベストナインに選ばれ、また4年生では主将を務めるなど華々しい成績を残したようだ。
何だか少しだけ切なくなった。
古い高校野球ファンのスレなどでは、未だベストナインに選ばれるほど強烈な印象を残した明神君。
かつて甲子園を賑わした松井が国民栄誉賞をもらい、松坂やダルビッシュが大リーグで活躍し世界中を熱狂させている。そして田中は開幕18連勝で球界の鉄人となった。

彼らは確かに一握りのスーパースターかもしれない。
しかし1978年夏、明神君も彼らと同じように甲子園で日本中を熱狂させた高校球児の一人だった。
過ぎ行く夏、やるせなさ35%の気分である。

by Ricophoo | 2013-08-24 16:34 | スポーツ

ゴローの登山靴

懸賞 2013年 06月 15日 懸賞

f0036354_22313281.jpg夏に北アルプスに行くことになったので
靴箱から登山靴を引っ張り出して眺めていましたが、何となくモチベーションが上がりません。
そこで、夏山シーズン前に、ゴローに登山靴を見に出かけました。
ゴローには以前から何度か訪れては、商品を眺めるだけ眺めた挙句、何も買わず後ろ髪を引きずる思いで店を後にしてきました。
登山靴はとりあえず数年前に石井スポーツで買った、どこぞのものが一足あるので
必要ないといえば必要ないわけで、ある意味私にとっては贅沢品なわけです。

バブルが弾け、贅沢は敵だとばかり、爪に火を点すように暮らしてきましたが、
今や巷では高級腕時計や貴金属、不動産業界では都心の億ションが飛ぶように売れていると言うじゃありませんか!
わざわざ寝かせた腐りかけの肉を売る高級精肉店が流行っているとかいないとか・・・

登山靴くらいなんぼのもんじゃい!
私の中のアベノミクスに火がつきました。


早速ATMで現金をおろして、いざ千石へ!

ゴローは、あの冒険家の植村直巳さんも愛用していたというオーダーメイド登山靴の専門店。三田線 千石駅から少し歩いた白山通り沿いにあります。
気をつけていないと思わず通り過ぎてしまうような小さなお店です。

本格的な登山愛好家の方や大学の登山部の方々はもちろん、軽登山や初心者などいわゆる山ガールと呼ばれるような方々の間でも知らない人はいないくらいの有名なお店です。
かく言う私も○年前に登山雑誌でゴローの登山シューズを見て一目ぼれをしたクチです。


f0036354_22441094.jpgクラシカルなレザーとフロント部分の丸みのあるデザインが特徴的なブーティーエル。
何度か店を訪れたり、ホームページで商品ラインナップを吟味して、買うならコレ!と心に決めていました。






お店に入り、靴の修理をしている店主の方にご挨拶。2階に上がると先客が一人。
既に注文が終わったところのようで、お店の方にすぐに対応して頂きました。
今まで、ほぼ軽登山しかしていないような私のような人間が、ここに来て気取ったり気負ったりしても、プロの目には一目瞭然、全てお見通し!てなことになるので、どんな山に登るのか、どんな山に登ってきたのか、どんな靴を履いてきたのか、どんな靴を履きたいのか、お店の人に正直に話しながら、いろんな種類の靴を微妙にサイズを変えてみたり、アドバイスを受けながら、たくさん試し履きさせて頂きました。
細かく丁寧に足の採寸をして頂き、左右の足の大きさが6,7ミリほど違うこと、黒が好みだということで、既製品ではなく、やはりオーダーメイドが良いでしょうと言うことになりました。
しかし!注文から納品までなんと4ヶ月待ちだと言うではありませんか!
夏の北アルプスには確実に間に合いません。一気にモチベーションダウン!
先刻 店主の方が二階に上がって来て、雑談していた時、明日も雑誌の取材が入っているとおっしゃっていました。
今注文しなければ、雑誌を読んだ方からの注文が殺到して更に待たされてしまいそうです。

う~ん!どうする?私…

ダメもとで対応して頂いたお店の方に、「夏山には間に合いませんねぇ」と呟くように泣きを入れてみたところ、なんと登山靴のレンタルをして下さるとおっしゃるではありませんか!
登山するときに借りにくればいいのではなく、このままレンタル用の靴を貸し出して頂いて納品の時に返せばいいとのこと!
もう、何から何まで至れり尽くせり!ゴローの方々には本当に感謝です。

f0036354_22335763.jpgで、お借りした登山靴がコレ。
タウンシューズとしても普通にオシャレです。
ともあれ、10月の中旬の納品が、今から楽しみで
仕方ありません。

5年、10年とソールを張り替えながらの一生モノの登山靴です。

ブーティーエル(細)
36、330円也
オーダーメイドでこの値段。 いい買い物をしました。

by Ricophoo | 2013-06-15 22:32 | スポーツ

第31回鴻巣パンジーマラソン

懸賞 2013年 03月 03日 懸賞

f0036354_0294688.jpg3月2日第31回鴻巣パンジーマラソンに参加してきました。

マラソンレースと言えば約1年ぶりの参加になります。昨年中は雑事に追われたことと一昨年から体調がいまひとつ優れなかったため、マラソンレースから少し遠ざかっておりました。
なので、仕事帰りの皇居2周と週末走でゆるゆるとお茶を濁す程度で、以前のように日記をつけ練習にせいを出すこともなくのんびりとしたランニングライフをエンジョイしておりました。
そろそろ大会参加をというお師匠の声を右から左に流していたのは、ここ1年よりの自律神経の失調で体温管理機能が低下。異常なほどの寒がりになっていたので、寒い季節のマラソン大会は命の危険も予感させ、なんとなく二の足を踏んでおりました。
鴻巣パンジーマラソンは3月の開催ということで、少しは暖かくなっているかとエントリーしてしまったのが数ヶ月前。
しかしこの冬の異常な寒さは、3月が近づくほどに更に勢力を強め、一向に暖かくなる気配もなく大会案内が届けられました。
早々とDNSを決め込んでいたら3月1日は、これまでの寒さが嘘のような暖かさ。一気に春が訪れました。
断る理由も見つけられず、しぶしぶと参加する運びとなりました。

当日は晴天でしたが、強風で交通機関が乱れるほどの強い風が吹き荒れています。
これから始まる21キロの地獄行きの切符を手に暗い気持ちでスタートラインに立ちました。

鴻巣パンジーマラソンは始めて参加する大会です。
JR高崎線、鴻巣駅から徒歩20分ほどの競技場がスタート・ゴールとなる会場です。
アップダウンのないコースと評判で、今年のハーフの参加者は6,000人ほどだということです。

9時30分スタートの号砲がなりました。
とにかく練習らしい練習もしないまま当日を迎え、記録どころか、完走できるかどうかもわからない状態での参加。どうにか再びこの陸上競技場に無事戻ってこられますように!祈るような気持ちで走り出しました。

転ばないように慎重に走り出した1キロのラップタイムは 4’49とまずまずの滑り出し。
始めは追い風ということもあり順調に走っていたのですが、8キロくらいから体ごと吹き飛ばされるような強風が荒れ狂うようになりました。せっかくいいペースを刻んでいてもこの強風で前に進むことができません。
強い風で飛ばされ他のランナーにぶつかる事数回。また時折畑の中の砂埃が舞い上がり、呼吸が苦しくなることもありました。12、3キロ位からは右足裏に大きな水ぶくれができているのが判り後半戦は本当に苦しい状況が続きました。大会名にもなっているパンジーは一体どこに咲いていたのやら。容赦なく吹き荒れる風、風、風。2006年の荒川フルマラソン、2009年の野辺山ウルトラマラソン以来の地獄の強風レースでした。

何度も強風に心が折れそうになりながら、なんとかラスト1キロも4分42分までスパートをかけてゴールすることができました。

結果は1時間44分26秒で50歳代の部で10位入賞。
表彰状とエンジェル・ペラルゴニウムという鉢植えのお花を頂きました。
参加賞はシューズバックです。
鴻巣パンジーマラソンはアップダウンなし、キロ表示も1キロごとにあり
風さえなければ、好記録も可能な、私が長年捜し求めていた理想のコースです。
給水や大会運営もきっちりとした素晴らしい大会でした。

今回自己ベストより12分も遅いタイムでしたが、今の私の状態でこれだけ走れたら上出来です。
いつまでも強風は吹いているわけではありません。
凍てつく冷たい風もいつかは吹くことをやめ、暖かい春の日差しを運んできます。

ほんの少しだけ、新たな気持ちで、また走り出してみようという気持ちになりました。
私にとっての春一番が吹いた弥生三月の始まりです。

4’35-4’46-4’57-4’21-4’46-4’55-4’55-4’59-4’51-4’47-4’53-5’03-5’19-4’43-5’14-11’44-5’01-4’52-4’58-4’42

by Ricophoo | 2013-03-03 00:25 | スポーツ

第11回歴史街道丹後100キロウルトラマラソン その3

懸賞 2011年 09月 23日 懸賞

今年の100キロの完走率は53.6%
14時間の制限時間以内にゴールすることができたのは1353人の出走者のうち725人。
女性においては182人中、完走できたのは88人。完走率は48.4%ということでした。

去年の100キロの完走率が65%を越えていたことを思えば
今年の激しさを理解していただくことが出来ると思います。

暑さと激しいアップダウンに苦しめられた本当に厳しいレースでした。

丹後の100キロを走りながら、私は、どうしてみんなこんなに苦しいのにウルトラを走っているんだろうと考えていました。

代わり映えのしない日常、つまらないルーティンワーク、ストレスが爆発しそうな満員電車、夢中になれないテレビ、暗い事件や悲惨な事故。
ただ漠然と、生きているだけの実感の無い毎日。

そんな日常で、一瞬でも輝ける瞬間を皆この非日常に求めているんじゃないでしょうか?

普段の生活で100キロを走るなんてことはありえないことです。
まさしくウルトラは非日常以外の何者でもありません。

痛い、苦しい、辛い、嬉しい、楽しい、美味しい…みんな含めて生きている証拠。
ウルトラにはそんな瞬間がたくさん詰まっています。

ゴールをきる瞬間の、開放感と達成感、喜びと感動、
自分を支えるほんの少しのプライドと、そして命の輝きは、
こうした非日常の中にあるのだと言う気がしてなりません。

しかし、100キロを走ったからと言って何かが変わるわけではありません。

たぶん200キロ走っても300キロ走っても、それは同じこと。
明日になれば、いつものように変わらない日常はやってきます。

だけど、ウルトラを走っている間の、痛い、苦しい、辛い、嬉しい、楽しい、美味しい…と感じた心は、その瞬間に確かに私が生きていた証、私の心と身体にしっかりと刻まれた思い出になっています。

辛いから、苦しいからと言って、立ち止まったままでは、ゴールはできません。
足は重くても一歩を踏み出さなければ、ゴールはできません。

つまらなくありふれた日常を何百回、何千回も重ねて、いつかくる人生のゴールを目指して私たちは生きています。

「ワクワクするような明日」や「エキサイティングな日常」はこなくても、あの瞬間のきらめきや、心に刻んだ忘れられ無い思い出があれば、私たちは、いつもの、あのありふれた日常に帰っていくことができるような気がします。
辛く苦しいことがあっても、変わらない毎日を前を向いて生きていける気がします。

さて、次のゴールテープを切るために、また明日から日常を生きていきます。

by Ricophoo | 2011-09-23 23:33 | スポーツ

第11回歴史街道丹後100キロウルトラマラソン その2

懸賞 2011年 09月 23日 懸賞

今日の丹後の天気は曇りのち晴れ。気温33度、湿度88%という予報です。
3時の時点で、むせ返るような蒸し暑さに気が遠くなりました。

ウェアは半袖Tシャツとショート丈のタイツ。ザムストのゲーター、万能バンダナ。

シューズは、5月に福島~新潟196キロを走ったMIZUNOのネクサスです。

すこし大き目のポーチには携帯とお財布、浅間神社のお守り、保険証、iPod、日焼け止め、ティシュと生理用ナプキン(6枚)(無情なことに生理2日目に大会を迎えることになり地獄絵図を下半身に抱えながらのレースになりました)、
サバスのゼリー3個、パワージェル2個、アミノバイタル顆粒3本、塩熱サプリ6つ、キャンディー4つ、スポーツドリンクのペットボトル1本。(中にMUSASHIのリプレニッシュを一袋入れました。)
(ペットボトルは空のものでも1つ持っておき、すこし水をいれて置くと、エイドの無い区間に給水できたり、水をかぶったりできるので便利です)

今年の丹後のスターターは、今年の24時間テレビでランナーを務めた徳光和夫さんです。

「ニューヨークへ行きたいかぁ~!」「おぉー!!」「絶対完走するぞ!!」「おぉ~!」「勝手に行け~っ!」
徳光さんとランナーとの掛け合いで、大爆笑の中、4時半、100キロのスタートが切られました。
1400人近くの100キロのランナーが一斉に走り出しました。

スタート直後は、真っ暗で何も見えません。
道の左側に突起物があるという注意があったので、前方の人の脚の運びをよく見ながら
転ばないように慎重に走りだしました。

今日の天気は曇りのち晴れとのこと。気温も高くなるという予報だったので、日差しが出てからだとかなり厳しい状態になると思い、どうにかお日様が顔を出す夜明けまでに距離を稼ぎたい…
そう思って無謀とは知りながら、キロ6分でいけるところまでいく作戦を取りました。

湿度が高いせいでしょうか、スタートのアミティ丹後を出発して5分も経たないうちに、顔中、体中から汗が噴出してきました。
毛穴を汗がふさいでしまうと上手に体温のコントロールができなくなるので、噴出した汗は、なるべくバンダナで拭くように心がけました。

初めの10キロは57分。まずまずの運び出しです。

スタートして直ぐの七竜峠越えの厳しさには完全に目が覚めました。
ここ京丹後には「羽衣伝説」「七夕伝説」「浦島伝説」など往古からの伝説も残されています。
さすが歴史街道という大会名に偽りなし。
コース上には、静御前の生誕の地、静神社や網野銚子山古墳など、いにしえを偲ぶ様々な歴史遺産が多く見受けられました。

夜が明けて、いつ強い日差しが射してくるかと戦々恐々としていたのですが、遠くにある台風の影響か、空は厚い雲に覆われ、湿度は高いものの、多少の風もあり、随分走りやすく感じます。
それでも汗は滝のように出てきます。エイドごとに水分をとっているため、反対に低ナトリウム症が心配になってきますが受付の際に袋に入っていた「塩熱サプリ」は、口に入れて噛み砕くだけで、塩分と電解質を素早く吸収してくれるので、これには随分助けられました。

七竜峠のアップダウンはきつかったです。
上りはさほどでもないのですが、下りの傾斜が半端ではありません。下りを得意にしていた私は、初めは転がるように嬉々として駆け下りていきました。何人のランナーを抜いたか分からないほどです。

しかし、久美浜湾を回り再びの七竜峠越えは、40キロ辺りで既に腿が上がらなくなってしまいました。
あの日本一過酷だと言われている野辺山ウルトラのメインの馬越峠より下りの部分だけみれば、七竜峠の下りの方が過酷に感じました。

まだ、40キロ。あと半分以上ある…。もう止めたい…。何度も心が折れそうになりました。
更に追い討ちをかけるように、60キロを過ぎる辺りから雲が取れ、鋭い日差しが突き刺してきました。
蒸し暑さと強い日差しで、たぶん32、3度は越えていたような気がします。

56キロ弥栄庁舎は一回目の着替えポイントエイドです。
丹後梨、ぶどう、丹後名物の「ばら寿司」などが振舞われました。

ここで預けた荷物の中に隠し入れていた頼みの「ユンケル」を一本補給しました。

80から先は残りの少なくなっていく距離を励みに頑張れますが、50~80までは気力も体力も無くなったらアウトだと私は考えます。
なので、この60前後のエイドでカンフル剤を注入することを作戦の一つとしました。そして、どんなに食欲がなくても、ごはんやうどんなど、エネルギーになるものを胃の中にいれておくこと。
荷物は重たくはなりますが、ジェルやゼリーなど、すぐにエネルギーになるものを携帯しておくことが重要と考えます。

70キロ地点手前から依遅ケ尾登山口に入っていきます。

ここから85キロまでは急激なアップダウンが4回ほど立て続けにやってきます。
それはまさにランナー殺しの坂でした。

いつ終るとも知れない長い上り坂の先に待っているのは、谷底に落ちていくような感覚の下り坂。
しかし下り坂になってもランナーたちは走りません。それは不思議な光景でした。
普通は上り坂を歩いていくものですが、ここでは皆が下り坂を、ひたすら歩いています。
傾斜が厳しすぎます。
転がってしまわないように無意識にブレーキをかけてしまうので、
皆、一様に膝をやられてしまっているのでしょうか、足を引きずるように歩いています。

ジリジリと突き刺してくる日差し、暑さ、過酷なアップダウン…
私の膝はなんとか大丈夫そうでしたが、相次ぐアップダウンで完全に大腿四頭筋が強い痛みで上がらず、得意の下りでも、タイムを縮められるような走りができません。

上り坂では、こちらは一生懸命走っているのに、歩いているランナーからどんどん追い越されていきます。
苦しくて辛くて、意識もぼんやりしてくる始末。
しかしここが頑張りどころ。

なんとか気を紛らわせようとポーチからipodを取り出し音楽を聴きながら走ることにしました。
YUKIさんの歌は元気がでます。
アップテンポの曲に合わせると意外にリズムよく走れます。

そんな時、いきなり私の中に何かがストンと落っこちてきたような感覚を覚えました。
今まで、あまりに苦しく歩いているのか走っているのか分からないくらいの速度で、ぼんやりと力なく走っていた私の身体に、何かが乗り移ったように、力が漲ってきました。
上り坂をまるで重戦車のごとく、ガシガシとスピードをあげて上っていけます!
自分の身体ではないような感覚です。
こんなことがあるのでしょうか?
もしかしたら56キロ地点で飲んだ「ユンケル」のおかげなのでしょうか?
上り坂は歩くのが当然と思っている私が、歩いているランナーたちを上り坂で、次から次へと抜き去っていきます。
2、3メートル前の風景をしっかり捉え、腕を振り、腿が機械のように規則的に動きます。

意識が集中し、目つきが変わっているのが、自分でも分かります。

そんな私の姿に他のランナー達が、追い抜き際に一様にぎょっとするのが、面白いような、不思議な気持でした。
その目は「あんなにへばっていたアイツが、一体どうしたんだ?」と訴えてくるような目でした。

f0036354_00559.jpgそして、長い長い上り坂をやっとの思いで上りきり、そこからは最後の長い下り坂。
転げ落ちるまま、心のままに転げてみようじゃないかという気持で、腿の痛みを忘れて一気に駆け下りました。そして、駆け下りた先に見えたものは、日本海を臨む本当に素晴らしい風景でした。


その時ipodから流れてきた曲は、大好きなLovepsychedelicoの「Freedom」でした。
青くキラキラと光る海と水平線、美しい白浜、屏風岩、そして抜けるような青空。心も身体も何もかもが開放された気分になりました。
「キレイだ~!!」走りながら大声で叫びだしていました。
そして自然と涙が溢れ出て止まらなくなりました。

丹後ウルトラのコースは、ユネスコの世界ジオパークにも選ばれた京丹後市の経ヶ岬から鳥取市白兎海岸あで広がる「山陰海岸」に含まれています。
こんな美しい風景を今まで知らずに過ごしてきたことが残念で仕方ありません。
きっと私の知らない美しい風景は、この日本にまだ沢山あるのだろうなあと、全ての美しい風景を、何年かけてもこの目で見てみたいという欲望に駆られました。

しかし85キロを過ぎる頃には、私に取り付いたパワーもすっかり底を突き、また以前の力ない走りに戻っていました。

日差しは翳ることなく容赦なく突き刺してきます。「ランナーは左側通行をお願いします」と、スタッフの方から注意を呼びかけられるのですが、日陰はすべて右側にあり、熱中症の危険が頭を掠めます。こんな遠くまで来て救急車で運ばれるようなことは避けたいという一心で、とにかくエイドでは塩を舐め、水を頭からかぶり、水分を取りました。

エイドにはありがたいことにクラッシュした氷が置いてあり、コップに入れて首に当てたり、溶けた水を飲みながら、走りました。おかげで体温が下げられて本当に助かりました。

この大会はエイドが杓子定規に5キロごとではなく、後半になるとランナーの気持に沿った距離にエイドを置いてくれています。
90キロを過ぎると2キロごとにエイドが現れ、最後まで頑張って走る力を与えてもらえました。
94キロ三津小学校エイドで食べたおしるこが美味しかった!

ゴール近くでは街の人たち、大会関係の方々が沢山集って応援をして下さり、「おかえりなさい!」の声に感激の涙が溢れました。
両手をあげたガッツポーズでゴールテープをきりました。
タイムは12時間37分。
100キロをすべて走り終えました。
きつかった、苦しかった。
しかし苦しければ苦しいほど、辛ければ辛いほど、後からそれは、より思い出深いレースになるものです。
まさにこの丹後ウルトラがそんなレースの一つになったような気がします。
今までのウルトラでは辛くて歩いてしまうことが多々あり、走りきったという感覚は味わえませんでしたが、今回はほぼ歩くことなく、苦しさの末の涙を流すことも無く、走りきることができました。

by Ricophoo | 2011-09-23 23:23 | スポーツ

第11回歴史街道丹後100キロウルトラマラソン その1

懸賞 2011年 09月 23日 懸賞

9月18日に第11回2011歴史街道丹後100キロウルトラマラソンに参加してきました。

今回は一緒に走る仲間の参加はなく、完全な一人きりでの参加になります。当然甘えや泣き言は許されない、自分と言う人間と正面から向き合ういい機会になります。とにかく知り合いも無く、行ったことも、見たことも無い、丹後という土地でのウルトラマラソン、不安がないといったら嘘になりますが、50歳を目前に自分がどこまで一人で頑張れるのか、自分への挑戦と位置づけて走るつもりです。

9月17日、8時の新幹線で新横浜から京都へ向いました。
静岡を過ぎたあたりで厚い雲が立ち込め、横殴りの雨も降っていましたが、京都へ着くころは雨もなく、東京と変わらないくらいの蒸し暑さでした。
京都駅で直ぐにお弁当を買い、ツアーバスの発着所を探しました。

ツアーバスばかりの発着所でトップツアーの係員の方を見つけるのは至難の業。案内の幟なども無く、不安になり、あたりを見回すと、明らかに観光ファッションではない方達の姿がチラホラ。「もしかしたらウルトラの方ですか?」と尋ねると笑顔で「去年もこの辺で待っていたら、係りの人が来たからココで待っていれば大丈夫だよ」とおっしゃって下さいました。

待機中、年配の男性ランナーの方や、長野から来たというMさんGさんという女性2人組の方たちと意気投合。
登山の話や今まで参加したマラソンなどのお話をして過ごしました。

しばらくすると係りの人が来て、MさんGさんとは離れ離れ。私は1号車に乗り込みました。

まだ発車前でしたが、おなかが減ってバスに乗ると車酔いしてしまうので、お弁当をいつ食べようかと考えていたところ、隣に座った男性が、おもむろにお弁当を食べ始めたので、私も負けじと食べ始めました。まるで争うように弁当を食べ終わった後、互いの食べっぷりを労うように「どちらからの参加ですか?」と尋ねたところ「練馬区から」だというので話が繋がり、更に話していくと同い年だと言うことが分かり、これまた意気投合。
男性はSさんとおっしゃる佐藤浩一似のちょっといい男。走歴はまだ2年弱ということですが、私とのタイムも近く、練習方法や参加大会などの話で、会場のある網野までの約4時間大いに盛り上がりました。

Sさんは去年も丹後を走られたそうですが、56キロ地点で故障して、涙を飲んで棄権されたそうです。今年はそのリベンジで臨まれるそうです。
バスを降りる前、お互いの完走を誓い合い、受付会場入りしました。

受付会場では各地からのツアーバスが続々と到着し、すごい賑わいでした。
受付を終え、ゼッケンとチップを受け取りました。
袋の中には参加Tシャツ、「丹後のおいしいコシヒカリ」という3合入りのお米、「塩熱サプリ」という電解質をすぐに補給できるタブレットが入っていました。

地元の小中学生の女の子達がステージで踊る可愛いチアダンスを観て、宿へのシャトルバスへ乗り込みました。
16時発で会場を後に宿へ向います。

何度も係りの人に「○○という宿に行くバスですか?」と聞いて乗り込んだのですが、行けども行けども、私の宿泊する宿に到着しません。
もう出発から50分程経っています。
不安になって運転手さんに尋ねると、「○○は反対方向だよ」と言われ愕然。

「もう一度会場まで引き返すから、そこで○○へ行くバスに乗り換えればいいよ」と慰めてくれましたが、12時ごろお弁当を食べてから、何も食べておらず、既に17時。

おなかが減って気分が悪くなってきました。会場から係りの人のバンに乗せてもらい、私の宿泊する宿に到着したのが18時。なんと2時間もバスで引きずりまわされたことになります。

もう宿では夕食の時間が始っていたので、直ぐに食事をしなければなりませんでした。
車酔いした身体で直ぐに食事というのはかなり堪えました。
這うように食事会場へ行き、無理やり夕食をかきこみ、部屋に戻りました。
温泉があったことを思い出し、温泉へ行き汗を流すと、気分がすっきりと良くなりました。

明日は4時半スタートなので、朝2時に朝食を取らなければなりません。
明日のウェアの準備などして(就寝前にガスター10を一錠服用)、9時前には就寝しましたが、なかなか寝付けません。
いつもなら10秒もしないうち眠りに入れるのですが…。

何度も寝返りを打ちながらウトウトとするうちに時計を見ると2時すこし前。
眠るのを諦めて起きることにしました。
結局殆ど眠ることができませんでした。

しかし24時間走の経験から、1日くらい眠らなくても大丈夫だという変な確信があります。

朝食を済ませ、準備をして(ここでまたガスター10を1錠服用)、3時15分発の宿から出発するシャトルバスに乗り込みました。

さて、いよいよスタート会場入りです。

by Ricophoo | 2011-09-23 23:10 | スポーツ

レッスルマニア

懸賞 2011年 08月 07日 懸賞

12歳のポルトガルの天才歌手ミゲル君が歌う
消臭力のCMを見るたびに「長州力」を思い出すのは、私だけではないだろう。

反逆の咬ませ犬、長州力。

忘れもしない1982年10月8日後楽園ホールで行われた自身の凱旋帰国試合で当時タッグを組んだ注目のエース候補生 藤波辰巳に嫉妬の炎を燃やし放った「俺はお前の咬ませ犬じゃない!」発言はプロレス史に残る名言である。

これがきっかけで、それまであまり目立たなかった、どちらかというと不器用な男が見せた決意の造反は、革命戦士の名を欲しいままに、その後の長州力人気は爆発的なものになっていった。

そんな長州も今年で59歳になるという。
先日電車の中吊りで、久しぶりに長州力という名前が、目に飛び込んできた。

長州力が、なんと12歳年下の奥さんや、三人の娘達に10年以上にも及びDV(ドメスティックバイオレンス)を行っていたという。
記事によれば小柄な奥さんをリフトアップして壁に叩き付けたり剥離骨折や打撲は日常茶飯事だったとか…。本人から話を聞いたわけではないので真意の程は定かではない。
長州のDVが事実なら困ったものだが、10年以上もプロレスラーのDVに耐えた奥さんがなんと言っても凄いと思う。
私も自慢じゃないが、幼少の頃より、3つ上の兄にプロレス技をかけら続けたせいで、いつも生傷が絶えず、小学校へ上がる前には、テクニックを学んだ訳ではないのに既に逆四の字を自ら習得していたという経歴をもっている。
私の場合、小学生の兄にひどい目に合わせられるくらいで済んでいたが、奥さんはプロレスラーに暴力を振るわれていたわけで・・・・まったく剥離骨折や打撲でよく済んだものだ。
長州的には軽く突き飛ばしたつもりなのかもしれないが、奥さんにしてみたらたまったものじゃない。
本気でプロレスラーが暴力を振るったら、心得のない小柄な女性なら多分即死するだろうな。

しかし、こんな記事が出て、今一番困っているのは再ブームを狙って日夜趣向をこらし、新しいファン層を獲得するべく頑張っているプロレス関係者だろう。

実は先日、元プロレスラーという経歴を持つ、やまちゃんの紹介で、後楽園ホールに新日本プロレスの試合を見に行った。

向こう正面の最前列、いわゆるかぶり付きの特等席だった。(やまちゃんの紹介がなければ座ることなど不可能な場所だ)
プロレスの特等席というものが、どんなものかが試合が始って数分で判った。

飛び散る汗と血潮!!ぶつかりあう肉体と肉体!場外乱闘で繰り広げられる熱いバトルで柵を壊さんばかりに飛び込んでくるレスラー!48歳女@恐怖と狂喜と興奮で、まさにトランス状態!

三上・獣神サンダーライガーVS邪道・外道の第一試合からジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンVS棚橋弘至&後藤洋央紀のタイトルマッチまで全七試合、もう興奮しまくりで○十年ぶりのプロレス観戦をすっかり堪能させてもらった。

f0036354_145437.jpgアンダーソンの片エビ固めで第9回目の防衛を果たしたタイトルマッチもやはり見ごたえがあったが、中でも私の印象に残ったのが、第三試合のヒデオ・サイトーだ。

頭をかきむしり、よだれを垂らしながら入場し、血走った目で宿敵永田を執拗につけ回し、捕らえた永田の首を絞め続けるヒデオ・サイトーの姿は狂気そのもの。本当に恐ろしかった。
やまちゃん解説によれば、長らく自分の立ち位置を見つけられずにいたヒデオ・サイトーにとってこの狂気キャラは、ようやく自らの手で掴んだ自分の立ち位置、つまりはアイデンティティの確立という感じなのだそうだ。

それと同じく、第六試合の鈴木軍(仮)のタイチも私が虜になったレスラーの一人だ。
かつては小島軍(仮)の太鼓持ちとして活躍するも小島が敗れると、小島を裏切り、鈴木軍(仮)に入るというなんとも、せこい小悪党キャラを確立している。正統派レスラーより、なぜかこういう卑怯なキャラに惹かれてしまうのは何故だろう?
まだ若いタイチのこれからの卑怯ぶりに磨きがかかることを期待したい。

あとは第四試合のストロングマンのこの世のものとは思えないほどの隆起した筋肉や、第二試合のプリンス・デイビットのイケ面ぶり。
女性ファンが会場に多数いるのも納得だった。

少し前から、プロレスブームの波が静かに押し寄せてきているそうだ。
売り上げ、観客動員は確実に増え、以前のプロレスブームとは客層も変化してきているという。

私が行った試合でもマニアックな男臭さは無く、初観戦でも楽しめる工夫(大型スクリーンの設置や選手のキャラクター紹介など)が施されており、女性客でも楽しめるライトなイメージで、かといってプロレス本来の華麗な技や迫力はそのままに全7試合がボルテージを上げつつライブ感覚で堪能できる。

日本には現在50以上のプロレス団体が存在し、都内ではほぼ毎日のように試合が開催されている。
8月の終わりには30年以上ぶりとなるメジャー団体参加のオールスター戦が武道館で行われるそうだ。プロレスが新たな娯楽として再炎する日も近い気がする。

by Ricophoo | 2011-08-07 00:56 | スポーツ