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懸賞 懸賞

旅の終わり、そして始まり。

懸賞 2008年 11月 23日 懸賞


つくばマラソンまで、いよいよあと残すところ1週間。
この1年間つくばマラソンのために走り込んできた。
4月のウルトラマラソンへのチャレンジも、夏の登山やトレイルも
そして、あの24時間走も、すべては来るべき
つくばマラソンのためにあったと言っても過言ではない。

つくばを前にこの1ヶ月の間に起った私の軌跡。
今、6週間連続のマラソン行脚についての総括を行なわなければいけない気がした。

10月初頭の24時間走後
やはり160キロ近くを走った疲労は
私の肉体と心に大きな影を落とした。
肉体的疲労以上に、倦怠感と走る意欲の後退に、自分でもコントロールできない
もどかしさを感じた。
しかし1週間もすれば、そういう類の疲労はぬけていくものだと信じて、
10月12日には年に一度の東京の街を走るランナーのためのお祭り、
「東京夢舞いマラソン」に参加した。
いつも楽しみながら42・195キロを5時間ほどでゴールするこのイベントランに
この日は結局7時間近くかかってゴールした。

やはり、そう簡単に体の奥底に溜まっていた疲労は取れることはなかったのだ。

10月18日にはつくばへ向けての第一弾、荒川河川敷で行なわれる
タートルマラソン(ハーフ)に参加しなければならない。
トレーニングしようと外へ出ても30メートルも走れない日が何日も続いた。
タートルマラソンDNSも頭をかすめた。
それでもウェアに着替えて外へ出たのは、
もしかしたらこのまま一生、走らなくなるのでは?という強迫観念からだった。

タートルマラソン前日、駒沢公園へ行った。
駒沢公園は、私がこちらへ引っ越してきてから、初めてランニングに出かけた場所だ。
緑に囲まれたジョギングコース、木洩れ日を浴びながら
いろんなことを思い出して走った。
そうして走っているうちに、どんどん力がみなぎってくるのが判った。
「どこまで走れるか判らないけれど、やるだけやってみよう!」

タートルマラソンは、一生懸命、今出せる力を精一杯出して走った。
結果は1時間47分24秒。
2年前は1時間40分18秒で走っているコースだ。
少しがっかりしたが、つい先日まで30メートルも走れなかった自分を思えば
大満足の結果だ。

そして翌週、10月26日諏訪湖マラソンに参加した。
レース前の突然の雨と急な冷え込みで不安の中、走り出した。
諏訪湖マラソンはアップダウンがなく湖に出てからはコースが一望できる
紅葉に彩られた景色の良い走りやすいコースだ。
走り出してみると、先週のタートルとは何かが明らかに違う…身体が軽く感じるうえに
滑るようにスピードが上がっていった。
ラストは息が切れつつもダッシュでゴール。
蓋を開けてみたら2年前の横浜で出したベストを20秒縮めた1時間39分30秒だった。
この2年間、1秒たりとも記録が伸びなかった自分が、まさかの自己ベスト!しかも先週のタートルのタイムを8分も短縮できたのが
本当に信じられなかった。。
しかし、自己ベスト更新の嬉しさもつかの間
レース後は低血糖症になってしまったのか、体温が下がり体調が急変した。
吐き気と寒さで、会場近くの片倉館のお風呂に行き
しばらく湯船に浸かっていても震えが止まらなかった。
こんな風になったのは初めてで、やはり疲労は抜け切っていないのかと
少し不安がよぎる。

11月3日は、ぐんま県民マラソン10キロの部に参加した。
10キロレースは久しぶりに走る。2年前の横浜ロードレースで出した
44分48秒が自己最高記録だ。
曇り空で気温が14℃絶好のマラソン日和。
スタートからいい感じで走り出す。気温も低いので給水はとらなくても全然OKだ。
終始足が良く動いた。距離表示が判りにくかったため、
中間点(5キロ)の折り返しだと思っていた場所が
実は7キロ地点だと気づいた。あと3キロ!俄然力が漲ってきた。
ラストは猛スパートをかけ正田醤油スタジアム内のゴールになだれこんだ。
結果は42分45秒!
自己ベストを2分以上短縮できた!
いくら頑張ってもここ最近は45分台で走れることも少なかった10キロ。
まさか自分が42分台で走ることができるなんて思いもしなかった。
距離が短いのか?はたまた、ほんのまぐれに過ぎないのか・・・?
まだ自分を信じられなかった。

そして11月9日、舞台は横浜へ…。

横浜は2年前自己ベストを出し、その後も大崩れすることの少ない
自分にとって相性のいいコースだ。
シューズは前日に買ったレディスカイセンサー。
シューズの具合を試すにはつくば2レース前の、この横浜しかない。
走り出しは4分18秒…ちょっと速すぎるかもと
抑え気味に4分30秒で押していく…。
少し足裏に違和感…大丈夫か?と少し不安になる。
10キロ地点でパワージェルを摂ろうと封を切った。
しかし、10キロ過ぎても給水がなかった!
自分的には、このパワージェル、水と一緒に摂らないと喉を通っていかない。
開封したパワージェルが表に飛び出さないように
強く口を抑えて握り締めて走る。折り返し地点を過ぎても、12、13キロ地点を過ぎても
給水は見当たらない…。
「誰か水をくれぇ~!」大声で叫びたい気持を抑えて怒りの爆走!
結局16キロ地点近くになってからやっとのことで給水があり
パワージェルを摂ることができた。力を入れていた指先が白くなって痺れていた。
横浜のラストは2回のアップダウンがある。つい2回目のラストの坂があることを
1回目を超えた時点で忘れてしまい、「また坂かよ!」と精神的に大きなショックを受け
モチベの低下、そして失速・・・という、過去に苦い経験をした覚えがある。
今回は2回目の坂も、お師匠の発破により何とか乗り切り、下りでは
一気に加速して、なんと21キロからの97mを22秒で駆け抜けてゴールした。
結果は1時間36分41秒。二年前の横浜のベストを3分以上縮めることができた。
しかも3週連続の自己ベスト!ぐんまでは、信じられなかった革命的な何かが
今私の中に起っていることを実感した。
横浜マラソンというビッグネームのレースで
思いがけず陸連登録の部で9位に入賞し、立派なメダルまでもらってしまった。

そしてマラソン行脚残すはあと1レース。
戸田マラソンin彩湖だ。
さすがに5週間毎週レースを走ってきた疲れはピークに達してきている。
それでも気持に疲れはない。
以前はハーフという中途半端な距離が、どうしても苦手で
走る前から気分が落ち込んだりすることもしばしばだった。
しかし、このマラソン行脚を終盤に迎えて、どうやら私のハーフ恐怖症は
ずいぶん克服できたように感じる。
ただただ闇雲に走っていただけの今までと違い
ペースの上げ方やスピードの感覚を体の中に取り込み、咀嚼しながら
自分の中で消化していく許容ができ始めてきたような気がする。
戸田マラソンは道満グリーンパークという大きな公園内にある彩湖の周りを2周する
比較的アップダウンの少ない走りやすいコースだ。
この日も小雨がぱらつく曇り空、気温も低く走りやすいコンディションだった。
スタートは多少の渋滞があったものの、入りは4分24秒…
まずますの滑り出し。
10キロまでは4分30秒を切って走っていたが
10キロを過ぎてからは思うようにスピードが上がらなくなってきた。
なんとか30秒台に戻したい気持があるものの
40秒台が続く。
気持は、これまでのレース以上に前向きで
不思議なほど気合十分。しかもかなり冷静。
足の動きは悪くないのだが、スピードが全く出ない。
自分の意識だけではコントロールできない、身体に溜まった疲労を
強く意識した。
それでも最後は猛スピードでダッシュを掛けてフィニッシュラインを踏んだ。
結果は1時間37分40秒。
終ってみれば悪くない走りだった。結局セカンドベストで4位入賞を果たした。

6週間に渡るレース行脚の旅が終った。
1ヶ月ちょっと前、30メートルも走れなくなっていた自分がいた。
そして、これから始る6週間を想像し、レースを休みなくエントリーした自分を恨んだ。
6週間走り続ける自信もなかった。
しかし、振り返れば、なんとか6週間のレースを全力で走り終えていた。
そして、この6週間で私は大きく変化した。
思うようなタイムが出なくて伸び悩んでいた2年の月日。
自分の弱さと焦燥感に苛立ち、凍えるような寒い冬の夜、
ヨレヨレになって走り終えた誰もいない半蔵門の交叉点で、無情なタイムを見ながら大きな声で「なんでじゃっ~!」と泣き叫んだこともある。

振り返れば初めてのウルトラも、あまりの辛さに初めて歩いてしまった野辺山ハーフも
夏の穂高も、雨の野尻湖も斑尾や黒姫、高尾や丹沢の山々も、
遭難しかけた多摩川75キロも、想像を絶した24時間走もみんなみんな私の成長の糧になった気がする。

これもすべては、いつも一緒に走ってくれて、苦しいときには意味不明の歌を歌って励まし支えてくれたお師匠のおかげだと、心から感謝している。

あと1週間でこの旅の終わり、つくばマラソンだ。
しかし、本当の意味で、これは旅の終わりではなく、また新たな旅の始まりになるだろう。
この新たな旅立ちを最高のものにするために
1年間、いや、夢の尻尾をつかみ損ねた2年の思いを、精一杯ぶつけて走ってこようと思っている。
今度こそは靴の紐をしっかり結んで。

by Ricophoo | 2008-11-23 00:20 | スポーツ

ノットイコール&ニアリーイコール

懸賞 2008年 11月 18日 懸賞

11月7日、肺がんのため、筑紫哲也さんが亡くなられた。
NEWS23の「多事争論」では、
鋭い切り口で私たちに様々な問題を投げかけてくれた。
筑紫さんの存在がなければ、
沖縄戦の記憶や「集団自決」「住民虐殺」などの歴史は
深く葬られてしまったに違いない。
筑紫さんの死はジャーナリズムの世界にとって
本当に貴重な存在をなくしてしまったと思う。

筑紫さんの死は、テレビで知った。

画面を見ると、筑紫さんがコメンテーター席で
筑紫さんの死をコメントしていた。

頭が混乱した。

落ち着いて画面を良く見ると
それは鳥越俊太郎氏だった。

同郷で、独特なお国訛り、ジャーナリストからテレビのキャスターへの転身・・・
ロマンスグレーのヘアスタイル・・・そして同じ病を世間に告白したところまで
本当に良く似ている。
本人同士も先輩後輩の間柄とのことで
かなり親しくお付き合いされていたとか。

パーツの一つ一つを良く見ると
大して似ていないのだが

以前から、ひょっとした瞬間に二人がシンクロしてしまう。

ところが、また新たに、似て非なる人物を発見した。

それは宮川俊二氏である。
元NHKアナウンサー。フリー後にはテレビキャスターへの転身という経歴も
見逃せない。頭髪が黒いところがまだまだ筑紫度が低い。
今後の成長に期待したいところである。

f0036354_2385141.jpgf0036354_2393275.jpgf0036354_2395524.jpg










こうしてじっくり見てみると
次のような図式が出来上がる。

筑紫=鳥越≒宮川≠筑紫 

筑紫>鳥越>宮川

実力、オーラ、知名度と筑紫さんはやはり横綱級だった。
残された彼ら二人は、いつの日か
筑紫さんを越えることができるだろうか?

謹んで筑紫哲也さんの御冥福をお祈りいたします。

by Ricophoo | 2008-11-18 23:17 | その他

オーボンヴュータン

懸賞 2008年 11月 01日 懸賞

f0036354_22491435.jpgずっと探していたオーボンヴュータンを見つけました。
オーボンヴュータンとは、以前雑誌で紹介されていた等々力にあるケーキ屋さんです。
その雑誌に書かれていた簡単な地図をたよりに、何度か探したことがあるのですが、見つからず諦めていました。



今日はお天気も良く、午後からは風もなくなったので
自転車に乗って等々力の町をポタリング。

ねこじゃらし公園という面白い名前の公園をみつけたり
雑貨屋さんを覗いたりしながら、
いつものランニングコース
尾山町のハッピーロードにさしかかった時
「オーボンヴュータン」と名前の書かれたお店を見つけました。
よく覗き込まなければ、ケーキ屋さんとは判らないような店構えです。

灯台下暗し。いつも夜に走っているコースのすぐ近くでした。

f0036354_22495043.jpg細長い店内は、入り口近くがcafeになっています。
真ん中にケーキが並ぶショーケース。
その向かいに、ヌガーやマジパン、キャンディー,チョコレートなどが陳列してあり、その奥には、様々なジャムやコンフィチュールなどが並んでいます。
更に奥へ進むと、デニッシュなどが並ぶ焼きたてパンのコーナーに
なっていました。

f0036354_22502551.jpgせっかく見つけたのでcafeで一休み。
ショーケースから店の名前のついた
ブリュレ「オーボンヴュータン」を頼みました。

普通のブリュレかと思いきや、お酒がかなり入った洋ナシのブリュレでした。
濃いエスプレッソに良く合いました。

by Ricophoo | 2008-11-01 22:55 | おいしい