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東京坂巡り

懸賞 2009年 06月 28日 懸賞

東京は坂の街です。
通勤ランや週末のLSDをしながら、いつも思います。

東京には、ローマと同様に、「上野台地」「本郷台地」「小石川・目白台地」「牛込台地」「四谷・麹町台地」「赤坂・麻布台地」「芝・白金台地」という7つの丘があります。
7つの丘には、本当にたくさんの由緒ある坂が点在しています。一つ一つにストーリーがあったり、歴史や由来や伝説があります。

f0036354_2003890.jpgたとえばいつも通勤ランの時に通っている、迎賓館へと平行して続く鮫河橋坂と紀伊国坂。
こちらは7つの丘の一つ「四谷・麹町台地」にあります。
この二つの坂は、かの有名な小泉八雲の「狢」(むじな)の舞台にもなっています。
坂下で、顔のない女に出会った主人公が、怖くなって急いで坂を上り、血相を抱えて坂上の蕎麦屋へ駆け込み「顔の無い女」にあったことを告げると、蕎麦屋の女が「こんな顔ですか?」といって、ぬぐって見せた顔が、同じのっぺらぼうの「顔の無い女」だったと言う有名な話。
何気なく通っている味気ない坂道も、その由来を知れば、とたんに今まで見えていた景色とは違った世界が見えてきます。
以前から、私の中で温めていた東京坂巡りの旅、お師匠を伴なってまずは、牛込台地、四谷・麹町台地から―。

f0036354_20104255.jpgスタートは麹町清水谷坂から上智大南にある紀尾井坂。新宿通りの喧騒が嘘のような静かで閑静な坂道です。


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紀伊国坂を上って、迎賓館前を眺めながら、鮫河橋坂へ。


この鮫河橋坂は明治の頃まで東京の三大スラム街として有名な町だったそうです。
この話を聞いて、びっくりするのも当然。この坂の近くには、皇族方のお住まい、赤坂御用地、また坂の上には皇族のお子様達が通われる、学習院初等科があるのですから。現在のように整備されたのは、ごく最近のことだそうで、みなみもと町公園は、スラムが接近しすぎるため、防災と風致のために明治期に造られた火除け地の名残なのだそうです。
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信濃町駅そばから路地に入り、鉄砲坂へ。
この鉄砲坂は、鉄砲組の屋敷や、鉄砲鍛冶場、射撃訓練場などがあったことから、その名前が付けられたそうです。

さらに戒行寺坂、観音寺坂へと走ります。
f0036354_20282022.jpgf0036354_2031165.jpg若葉公園近くの闇坂(東京の暗やみ坂は他にも随所にあるようです。)闇と書いて「くらやみ」と呼ばせるところが趣があります。
須賀坂、円通寺坂、夫婦坂…そのほか名も無き坂も無数にあって、四谷の坂の奥深さを実感しました。



新宿通りを四谷駅方面へ戻り、外堀通りから市ヶ谷へ出ました。
坂の宝庫、牛込台地へと歩を進めます。
f0036354_20323757.jpg昔人形浄瑠璃の小屋興行があったからとか、今はなき光円寺の薬師如来が東方浄瑠璃世界の主だからとか・・・諸説ある浄瑠璃坂。






f0036354_20334632.jpg河川沿いがゴミ捨て場だった江戸時代、山の手ではそれがなく、坂の下がゴミ捨て場になることが多かったことからその名を付けられたという芥坂(ごみ坂)。






f0036354_2035650.jpg鰻のように細長くクネクネと曲がって伸びる鰻坂。







f0036354_20363537.jpg法政大学と東京理科大学分館が立ち並ぶ一画にある歌坂。別名、雅楽坂とも言われています。一説には「善知鳥(うとう:海鳥の一種)」の口ばしに似た地形であるからとも言われていて、つまり「うとう」が「うた」になり歌坂に転じたものであると思われます。






f0036354_2037324.jpg日仏学院から伸びる急坂、逢坂。
別名大阪とも美男坂とも言われていますが
この坂には、ちょっと切ないロマンス溢れる由来があります。
昔、小野美作吾という武蔵守が、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、後に都に帰って死んでしまったのですが、娘の夢の中で、再びこの逢坂で二人は逢うことが出来たという伝説に因み逢坂と呼ばれるようになったのだそうです。

f0036354_20455871.jpg飯田橋から伸びる坂といえば、かの有名な神楽坂。
毘沙門天善國寺に参拝する人でいつも賑わっています。坂名の由来は、諸説ありますが、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなどなど・・・いずれも神楽にちなんでいます。

f0036354_2047633.jpg三年坂、御殿坂、芥坂(東京にはこうした芥坂がたくさんあるようです)、相生坂、赤城坂・・・






f0036354_20484749.jpg早稲田大学構内を通って、夏目坂へ。
この夏目坂はこの土地の名士であった夏目漱石の祖父が、自分の家の前の坂道を勝手に夏目坂と名付けて、そのまま根付いてしまったという思わず笑ってしまうような由来があります。





f0036354_2049483.jpgこの日の坂巡りの終点は、大江戸線、牛込柳町から続く大久保通りにある焼餅坂。
江戸から明治にかけて、この坂の途中に美味しい焼餅を売る店があったというのが名前の由来だそうです。
意外に拍子抜けの由来で、がっかり。





まだまだ行き着けなかった坂道がたくさんあります。
都会の大通りから一歩足を踏み入れると、ここは東京なの?というような風景にいっぱい出くわしました。都会の喧騒を離れた静けさに驚き、時間が止まった穏かな町並みに昭和を感じ、タイムスリップしたような錯覚に驚かされました。簡単な地図を片手に東京の街を坂道を探して巡る旅は、オリエンテーリングのようなゲーム感覚満載の、坂に魅せられたとっても楽しい旅になりました。
次回はどんな坂との出会いが待っているのか、楽しみで仕方ありません。

by Ricophoo | 2009-06-28 20:38 |

レスラー

懸賞 2009年 06月 20日 懸賞

f0036354_1741058.jpgつい先日、ニュース番組の特集で知的障害者のワイン農場のことが紹介されていました。そこで作られるワインは、世界的なワインの品評会等で、障害者への同情などではなく、そのクオリティの高さで人々から広く絶賛され、サミットの晩餐会のワインにも選ばれ、その味を高く評価されています。そこで働く知的障害者の皆さんは、一人ひとりが誇りを持って働いています。自分に出来ることをコツコツとこなし、楽しみながら生き生きと働き、暮らしている様子が印象的でした。
司会の古館伊知郎さんは番組のなかの感想で「みなさん、生きる喜びとは何でしょう?」と問いかけました。
そして「それは人から認められ、自分の居場所を見つけられた時ではないでしょうか?」とコメントされていました。
人生に目的を見つけ、人から認められ、自分の立ち位置や居場所を見つけた人間は世界中にどのくらいいるのでしょうか?多くの人間は、目的も見つけられず彷徨い、人から認められず苦しみ、自分の居場所を求め、探しながら、常にもがき続けています。

人生は、自分の居場所を見つけるための遥かな旅のような気がします。
その居場所を見つけ、そこで人生の幕を閉じられたら、それがどんな形であっても、自身にとっては本望。何より幸せな一生だったと思えることでしょう。

先日、渋谷シネマライズで、ダーレン・アロノフスキー監督、ミッキー・ローク主演の「レスラー」を観てきました。

80年代のハリウッドを代表するスター、ミッキー・ローク。
スピルバーグ監督の「1941」で映画デビューを果たし、その後「白いドレスの女」「ランブルフィッシュ」「イヤー・オブ・ドラゴン」「エンゼルハート」など数々の話題作に出演、82年の「ダイナー」では全米映画批評家協会賞助演男優賞を受賞。そして彼の名を世界中に轟かせたのが、あの「ナインハーフ」です。
当時のセックスシンボル、レディキラーとまで評され世界中の女性ファンの心をわしづかみにした男の色気でミッキー・ロークは、激動の80年代を凌駕していました。
しかし、90年代に入るとその人気も低迷し、副業のプロボクサーとして活動していた時、顔に大きなダメージを受け、追い討ちをかけるように俳優としての活躍の場を失っていきました。

私生活でも2度目の結婚も破綻し、自殺さえ考えたことがあったといいます。
近年のインタビューで「家、妻、金、キャリア、自尊心。全てを失くして暗闇の中に立っていた」と彼自身当時を振り返っています。
80年代に輝かしいスターダムに君臨していたミッキーにとって、その転落の様は痛々しいほどでした。細々と端役などをこなしながら、いつしか時代は、ミッキー・ロークの名前をすっかり忘れかけていました。

しかし、そのミッキーがこの「レスラー」で見事な演技、圧倒的な存在感で、私たちの前に帰ってきてくれました。
全てを失い、俳優人生のどん底から這い上がり、全盛期にも手にしたことの無いアカデミー賞主演男優賞ノミネート、ゴールデングローブ賞受賞、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞など様々な賞を受賞し、見事な復活を見せてくれました。文字通り、人生どんでん返し。何が起こるかわかりません。

そんなミッキーが演じるのは、「ザ・ラム」のリングネームで全盛期にはマジソンスクエアガーデンを満員にするほどの人気レスラーだった「ランディ」です。
20年の歳月を経て各地のドサ周りの興行に出ながら、わびしいトレーラーハウスを棲みかに、その家賃さえ払えず、スーパーでアルバイトをしながら、孤独で落ちぶれた生活を送っています。年老いたレスラーにとって、いまさら他の生き方をする術もありません。

プロレス興行は、ドサ周りとは言っても、つまらない試合ではお客さんが入りません。
毎回刺激のある激しい試合をお客さんは望んでいます。
段取りを決めてはいても、パイプ椅子で殴られ流血、工業用ホチキスでの反則ワザ、有刺鉄線を張り巡らせた中での試合、お客さんを興奮させ喜ばせるためには手段を選ばない巡業での試合は、痛々しく観ていて目を背けるほどの激しさです。

興行主から、全盛期の宿敵アヤトッラーとの20年ぶりの夢の再試合の話をもらい、希望も新たに歩き出したそんなある日、過激な試合を行なった後の控え室でランディは、突然心臓発作で倒れてしまいます。
数週間の入院後、医者から「もう一度リングにあがったら命の保証はない」と宣告され、引退を考えるようになります。

ランディには娘が一人いましたが、長年プロレスに没頭しつづけ家庭を顧みなかったせいで、心を通わせるどころか、彼のことを決して許そうとしません。
一旦は病気の事をうちあけ、心を許しかけた娘に、またしても不器用な生き方が原因で決定的な絶縁を下されてしまいます。

ほのかに思いを寄せるストリッパーのキャシディに交際を断られ、スーパーの惣菜売り場では、客や上司にプライドを傷つけられ、もはや今のランディには行く場所も頼る人間もいないことに気がつきます。まさに人生のどん底です。

そして怒りと情けなさの中でランディは決心します。
たとえ命を危険に晒すことになっても、今の自分にはプロレスしかないのだと。
プロレスラーの「ザ・ラム」として生きるしかないのだと。

宿敵アヤトッラーとの20年ぶりの夢の再試合のリング上、試合が進むに従って心臓が悲鳴を上げてきます。
苦しい表情でも、会場中の大声援を受け、ランディの姿は誇り高く、きらきらと輝いています。最も自分が輝き続けることができるリングという、その場所で彼は自分の居場所を見つけ、自分が最期に安らげる場所を手に入れられたのです。

人生の辛酸をいやというほど舐めたミッキー・ローク演じるランディには、圧倒的な迫力がありました。
体を張った演技もさることながら、一番びっくりしたのは、ミッキーが長い歳月の間に背中だけで演技ができる俳優になっていたことです。

80年代には、その艶かしい声や体でセクシーさを売り物にしていた彼に、もう体の張りも色気も美しさもありません。しかし、そんなものを軽く超えてしまうような人生の哀愁や悲しみを表現できる素晴らしい名優になっていました。
ランディの姿とシンクロし、ミッキー・ロークの不器用な生き方が重なります。
いろんな回り道をしましたが、やっとミッキー・ロークは自分の居場所を見つけることができたようです。

エンディングで流れる「レスラー
この曲はミッキーの親友である、ブルース・スプリングスティーンがミッキーのために無償で書き下ろした曲だといいます。男気溢れる、まさに名曲。

今年度のアカデミー賞主演男優賞を「MILK」で受賞したショーン・ペンが受賞後のスピーチでこう締め括っています。
「洗練された人物を大統領に選んだこの国を誇りに思います。この国だからこそ、勇気ある芸術家が誕生するのです。すべての候補者に敬意を表しますが、勇気ある芸術家は、その感受性の豊かさゆえに、多くの困難も生み出してしまいます。
そこから再び立ち上がってくれた、ミッキー・ローク!彼は、僕の兄弟です。みんなどうもありがとう」

by Ricophoo | 2009-06-20 17:06 | 映画

地獄の100キロ野辺山ウルトラマラソン参戦記(その8)

懸賞 2009年 06月 16日 懸賞

【87キロ~ゴール】
87キロの着替えポイントでは、用意していたプロティンを飲み、給食をとり、お師匠と川柳を応募しました。本当は川柳を書くような元気も余裕もなかったのですが、せっかく考えてきたので、応募することにしました。
お師匠は去年の富士五湖で私の川柳が入選したのが悔しくて、富士五湖直後から、1年間頭を捻り、このウルトラ川柳を考えてきたそうです。その間に20以上の句を考えたそうですが、野辺山に来る時に、川柳を書いたメモを全部忘れてきてしまったとか・・・
思い出しながら、お師匠は3つ、私は2つの句を書いて出しました。

残すところあと13キロ。制限時間内には完走できそうだと予想はできても、なにが起こるか判らないのがウルトラマラソンの怖いところです。気を引き締め、休憩もそこそこにすぐに走りだしました。見るとお師匠は手打ち蕎麦をお変わりして、どんぶりとお箸を持ったままです。
麓に下りてからは、しばらくは街中や民家の間を走ります。
水溜りに注意を払いながら走っていると、244君が後からやってきました。71キロのエイドで、腹痛を起こし苦しみながら走っていると聞いて、薬を渡しましたが、あまり効果がなかったようです。ここにきてやっと落ち着いてきたようで、スピードをあげて元気に走っていきました。
走ったり、歩いたりしながら90キロ過ぎ・・・広い田畑が広がる地点に差し掛かったとき、急に風雨が激しさを増してきました。
横殴りの雨と強風に、前に進むことができません。油断すると体ごと飛ばされてしまいそうです。日本一過酷なコースだと言われる野辺山ウルトラ。それに加えてこの激しい風雨・・・
冗談のような、あまりの激しい雨と風に「神様は我々に、まだこれ以上の試練をおあたえになるのですか!!」と大声で叫びだしそうになりました。
あと8キロ!駒沢公園4周~!
あと5キロ!皇居1周~!
と気合を入れ直し、走りだしても体はもう、クタクタで気がつくと直ぐに歩いてしまいます。1キロ1キロがこんなに長く感じるとは・・・・。
動かない足がもどかしく、情けなさで涙が出てきます。
97キロ。残すところあと3キロ。とうとうここまで来ました。
泣いても笑っても、この過酷な野辺山100キロの走り納め。
最後だけは、苦しくても辛くても、走ってゴールをしよう!
そう思った瞬間、どこにそんな力が残されていたのか、それまで鉛のように重かった足がリズムを刻んで快調に動き出しました。
ゴール前の緩やかな坂道が見えてきました。
苦しかった13時間近くの道のりが走馬灯のように一気に蘇ってきます。
13時間近く苦しさに耐えた感情とこれで全てが終るのだという喜びの感情とがごちゃ混ぜになった、なんともいえないモコモコした気持がおなかの中から、突如湧き上がってきて、最後の坂はもう意味もなく叫び声をあげていました。
「どぅりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~っ!!!!!!」という周囲もどん引きするような雄たけびとともにゴール。
結果は12時間58分20秒。
過酷なコースと過酷なコンディションの中、地獄絵図のようなウルトラマラソンが終りました。
お師匠とは、今回一発即発の微妙な空気が漂う場面も多々ありましたが、なんとか仲良くお互い励ましあいゴールすることができました。
もうウルトラは当分走りたくない!と思いつつ、帰りのバスの中、あの馬越峠攻略法など考えたりしているもう一人の自分がいました。
野辺山は過酷なコースで有名ですが、次から次へと立ちはだかるアップダウンに翻弄されつつ気がついたら70、80キロはあっという間で、ぼんやりするような暇が全くなく、とにかく飽きないコースでした。
膝に爆弾を抱えている方は、命取りになるので、あまりお勧めすることはできませんが、山と、がっぷり四つに組み合い、坂と壮絶な死闘を繰り広げる、男性的なこのコース、三度の飯よりバトル好きを自負する人にはたまらない100キロだと思います。

10k-1:07 20k-2:29 30k-3:40 40k-4:44 50k-5:47 60k-7:05 70k-8:22 80k-10:05 90k-11:22 100k-12:58 【女子141人中17位】

ちなみに川柳は、お師匠も私も、それぞれ特賞!賞品に、ランナーズウェルネス代表の坂本さんが書いて下さった川柳の色紙と、野辺山産の乳製品の詰め合わせを頂きました。お師匠は自分の川柳が一番だと言い張り、私の川柳も特賞だと判ると面白くなさそうでした。お師匠と私の間で、新たなる川柳戦争が勃発しました。二年連続入賞の意地、お師匠だけには負けたくありません。来年のウルトラ目指して川柳トレを開始します。

by Ricophoo | 2009-06-16 23:39 | スポーツ

地獄の100キロ野辺山ウルトラ参戦記(その7)

懸賞 2009年 06月 07日 懸賞

【42キロ~87キロ】
初ウルトラの時は、フルの距離を越えたら、やはりさすがに疲れが濃く、足が上がらなくなり、小さな轍につまずいて転んでしまいました。
せっかく半分近く走ってきて、ここで怪我をしてしまっては、戦意も喪失しかねません。
なのでここからも更に慎重に足を運ぶことを心がけました。

野辺山のエイドの給食は、種類も豊富で、手打ち蕎麦、おしるこ、おにぎり、おみそ汁、お吸い物、イチゴや、バナナにオレンジなどのフルーツ、グミにチョコレート、ビスケットにアンパン、クリームパン、梅干にお漬物、WGHproのスポーツドリンク、ココアやコーヒー、レモンティー・・・等がありました。
とにかく、どれも美味しくて、エイドが楽しみで仕方ありませんでした。

初ウルトラの時と違うのは、エイドやトイレで足を止めたあとのリスタートです。
初ウルトラの時には一旦足を止めてしまうと、筋肉がキューと固く縮まり、痛くて次に走り始めるのがかなり困難になりました。足が動くようになるまで5分以上の時間を要しました。それが、今回は、痛みが全くなく、エイドで給食を摂って、そのまま普通に走ることができました。

58キロの着替えポイントが近づいてくると、先を行き、折り返してくるランナーとすれ違うことができます。244君が折り返して来ました。いい走りで快調に走っているように見えます。
58キロの着替えポイントでは、給食を摂った以外は特に何もせず直ぐにエイドを後にしました。58キロポイントを目指してくるジョグノートの重さんやまなぴーさん、よりさんたさんとすれ違いました。みんな頑張っています。
滝見の湯では71キロの人たちのゴールがあります。
71キロの方たちはここでゴールして、温泉にゆっくり浸かってのんびりできるのです。
羨ましく感じながらも、自分のゴールはココではないのだと言い聞かせて歩みを進めました。
ここから、ダラダラとしたゆるい坂が始まりました。
坂とは言っても、まだこの頃は走ることができました。だんだん坂が急になり走ることがかなりしんどくなってきて、私はある作戦を企てました。
前方を見て、目印にした場所までダッシュで走り、目印まで到達すると、今度は2,30秒歩きを入れるという作戦です。お師匠はというと、ゆっくりですが、ただ黙々と走りを止めずに坂を登っていきます。私が歩いている間に、お師匠に抜かれはしますが、その後の全力ダッシュで追いつき、そして追い越され・・・・。意外とこの作戦はいい感じで数キロは快調に走っていましたが、傾度がキツクなり始めた途端、ダッシュの距離が極端に短く、それに反比例して歩きの時間が長くなってきました。
お師匠は、マイペースで、ゆっくりのペースは変わりませんが、どんどん先を行きます。
20キロの時とは、立場が逆転、お師匠一瞬たりとも後ろを振り返るそぶりも見せません。
100m以上先を行っているのでしょうか、姿もみえなくなりました。

私はというと、ダッシュをした分、体力も消耗したのか、坂がよりきつくなってきたのか、数メートルのダッシュどころか、ゆっくり走ることさえできなくなり、とうとう歩きに徹するようになりました。
延々続く急坂・・・そうです、ここがあの魔の「馬越峠」だったのです。
周りを見ても、もはや走っているランナーは一人もいません。
みんな首をうなだれ、澱んだ空気を背中に背負い、鎖につながれた囚人のごとく
のろのろと長い坂を歩いていきます。まだまだ雨は降り続いています。
空気も薄くなっているのか、歩いているのに息も荒くなっています。
また、普通に前を見ているだけなのに、坂道なので自然と顎が上がり首に負担が掛っているせいでしょうか?肩に重い痛みが走ります。
一体この坂はどこまで続くのか?意識も朦朧としていたその時、なんと重さんが走りながら、この馬越峠の激坂を登っていくではありませんか!すごいパワーです。その姿はまるで蒸気機関車のようでした。初ウルトラということで前半戦は、ゆっくり走り、力を温存していたのでしょう!得意の坂をガシガシと走っていく姿が眩しかったです。
重さんが去って、しばらくいくと馬越峠もようやく終わりを迎えたようです。
今まで延々と登ってきたのと同じくらいの急激な下り坂が目の前に広がりました。
さあ!ここからが勝負です!一気に駆け下りて、今まで歩いてきた時間を挽回していきたいものです!
ここまで75キロ近く走ってきているわけですから、足にもかなり負担が掛かっているはずです。ゴールまで、あと25キロ。まだ油断のならない距離です。しかし脚の様子を見ながら、ゆるゆると下り始めて数百メートル、ついにスイッチが入りました。どうやら足からのGOサインが出たようです!
登り坂で貯めていたストレスを晴らすように、長い下り坂を転がるように走りました!

快調に飛ばしていると、先を行くお師匠が見えました。お師匠も、今まで見たことのないくらいのスピードで飛ぶように駆け下りていきます。
走る走る走る!スピードがどんどん加速していきます。平坦な道に出るまで、他のランナーを面白いように何人も抜きました。

足がだんだん疲れてきましたが麓に下りたら、直ぐに87キロの着替えポイントのエイドがあるはずです。それをたよりに頑張って下ってきたのです。
しかし、麓に降り、行けども行けどもエイドらしき場所が見当たりません。
「なんでエイドがないの?」独り言をつぶやいたつもりでしたが、その声は怒りに満ちたものになっていたようです。
「まだ3,4キロあるよ」と返す師匠に、ぶち切れそうになりました。
それは師匠に対しての怒りではなく、距離に対する怒りだったのですが、もはやそれを説明する余裕もなく、師匠との間に険悪な雰囲気がまたまた広がりました。
苦々しい空気の中、2キロくらい行くと、やっとのことで87キロの着替えポイントに着きました。

by Ricophoo | 2009-06-07 00:49 | スポーツ