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しあわせのパン

懸賞 2012年 01月 29日 懸賞

f0036354_25665.jpg渋谷シネクイントで三島有紀子脚本監督作品「しあわせのパン」を観て来ました。

東京から北海道・月浦に移り住み、洞爺湖が見渡せる美しい湖畔でオーベルジュ式宿泊施設付のパンカフェ「マーニ」を始めた夫婦 水縞君とりえさん。

水縞君がパンを焼き、りえさんがコーヒーを入れ、おいしい料理を作る。
美しい北海道・洞爺湖の春夏秋冬、それぞれの季節に様々な想いを抱いて「マーニ」に訪れた人たちが、水縞君の心を込めて焼くパンと、りえさんの丁寧に作る料理と、ゆっくり時間をかけてネルドリップで入れたコーヒーを飲み、自分の心の中の幸せを確かめ、本当に大切なものを見つけていく素敵な物語です。

物語の初めに、りえさんが大好きな絵本「月とマーニ」が紹介されます。

少年マーニは自転車のかごに月を入れて毎日東の空から西の空へと走って行きます。
ある日やせ細った月が、マーニに自分を照らす、暑くまぶしい太陽を取ってくれと言います。
マーニが言います。
「だめだよ太陽を取ったら困っちゃうよ」
「誰が?」
「僕だよ」
「どうして?」
「だって太陽を取ったら君がいなくなってしまうから」

大切なのは、君が照らされて、君が照らしていることなんだよ


マーニの大きな窓の外に広がる湖の景色。
センスのいい家具や雑貨、真っ白いカップにコーヒーを注ぐ音、焼きたてのカンパーニュのはぜる音、ナイフを入れたときに立ち上る湯気、ポトフを煮込んだダッチオーブン。りんごのはちみつパンの甘い香り、こげたチーズが香ばしいチーズのパン。ブルーベリージャムの深紫、大きな栗がごろりと入ったクリのパン。数々のシーンと共に映像から幸せな香りが漂い、緩やかで優しい時間と、気持のいい空間が広がっていきます。

「好きな場所で、好きな人と、好きな仕事をしたかった」水縞夫妻は誰もが羨む最高に幸せな生活を送っているようにも見えますが、りえさんの孤独と悲しみを癒せない切なさを水縞君は抱えています。

人は誰でも月の満ち欠けのように、喜んだり悲しんだり、それぞれの悩みを持って生きています。
四季の移り変わりのように、春の美しさもあれば、冬の凍てつく厳しさもあります。
キレイなだけじゃない生活が、そこにはあります。
身体も心も、喜びも悲しみも、毎日変わっていきます。
この映画は、ただ単に心地よいだけの、童話のような物語だけではありません。
そこは、ドキュメンタリー畑出身の監督作品、丁寧に丁寧に人間の心の襞をしっかり見つめて、ドラマを描いているように思えました。

カフェを描いた作品なので、当然食事の場面が多くありましたが、全編を通じて印象に残ったのが、
一つのパンを二人で分け合うシーンでした。
「SHAREする」ことの大切さ、温もりを感じました。
以前読んだ小川糸さんの「食堂かたつむり」のテーマを思い出します。
「食べることは生きること」。

冬の章、今までパンが食べられなかったおばあさんが、豆のパンを食べる様子に、おじいさんが呟きます。
「人間って最後まで変化し続ける生き物なんですね」
一つのパンから、生きる力や生きる希望が生まれてくるのです。

残された人生で、あと何度の食事をするか分かりませんが、毎日の暮らしを丁寧に生き、美味しく食事をすることを心がけていきたいと思っています。

f0036354_2573738.jpg普段は明るく飄々とした青年を演じることが多い大泉洋さんですが、あまり多くを語らない水縞君のとても控えめな演技が印象的でした。
そして原田知世さんの10代の頃から変わらない透明感と微かな翳りを含んだ自然体の演技には脱帽でした。「りえさん」はまさしく、原田さんのはまり役ではないでしょうか。



エンディングで流れる、矢野顕子さんと忌野清志郎さんの歌う 主題歌「ひとつだけ」が、映画館を出てからも帰宅してからも、ずっと頭の中で流れています。

素敵な歌詞とお二人の独特の歌声がこの映画になくてはならないスパイスになっています。


ひとつだけ

欲しいものは たくさんあるの。
きらめく星くずの指輪。
寄せる波で 組み立てた椅子。
世界中の花 集めつくる オーデコロン。

けれども今 気がついたこと。
とっても大切なこと。
欲しいものは ただひとつだけ。
あなたの心の 白い扉 ひらく鍵。

離れている時でも わたしのこと忘れないでいてほしいの。
ねぇ おねがい。悲しい気分の時も わたしのことすぐに 呼びだしてほしいの。
ねぇ おねがい。

楽しいことは ほかにもある。
満月の下のパーティー。
テニスコートを 駆けまわる。
選びぬいたもの 集めつくる 中華料理。

けれども今 気がついたこと。
とっても大切なこと。
一番楽しいことは あなたの口からあなたの夢 きくこと 。

by Ricophoo | 2012-01-29 02:50 | 映画

花をめぐる ささやかな楽しみ

懸賞 2012年 01月 23日 懸賞

30代の子育ての合間に、生花やドライフラワーなどを使った
フラワーアレンジメントを少しだけ習ったことがある。
オアシスという柔らかい発泡スチロールのようなものに、おおまかな規則はあるものの
好きな花を好きなようにさしていく。
また柔らかい針金なども利用したり、プラスチックを溶かしたもので花を固定をさせたりと
見た目の優雅さの裏で、意外と手荒な作業を施すので、多少驚いたものだが
生け花ほど格式ばった感じはなく、異国の生け花とはそんなものかと気軽に行え、そこそこ楽しかった。
また出来上がったアレンジメントやリースは、籠に入れたり、室内のドアに吊るしたりとても豪華に見えた。
しかし、その見ごろはせいぜい2、3日。
せっかくの生け花はそれ以上経つと元気がなくなり、一週間もすれば萎れて見る影もなくなってしまう。
萎れてしまった花や枯れてしまった花を捨てる時の切ない感じがどうにもやるせなくて、あまりのめりこむことはなかった。

f0036354_23135464.jpg昨秋石和温泉で初めて押花アートを体験した。
先生が用意した素材の押花を小さな台紙の上にピンセットで載せて思い思いにアレンジしていくのは
アレンジメントフラワーや生け花と同じ感覚だ。
楽しくて時間を忘れた。初めて「押した」作品がコレ。
先生からは「既に教える事なし」の免許皆伝のお墨付きを頂いた。










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自宅に戻ってからも、時々思い出しては「押して」いる。



押花の良さは何と言っても、押してしまえば、押した時点での花の形や色を失わないことだ。
生花の瑞々しさは失われても
花の可憐さや淡い色彩は残すことができる。
花を摘んだときの思いでも一緒に色あせず決して枯れる事はない。

花屋の店先にあるような豪華で大ぶりな花より、小さくて可憐な花の方が好きなので、
道を歩いていいても名もない小さな花や草、木の芽が気になって仕方がない。
道端にひっそりと咲いている小さな花を見つけると
文庫本の間にそっと挟んで持ち帰る。
しっかり押して乾燥させて、押花の素材となるまで、しばしの時間を要する。
この小さな花が押花になる時、果たしてどんな色合いでどんな新しい可憐な表情を
見せてくれるのか、そんなことを考える緩やかな時間が、とても楽しい。

by Ricophoo | 2012-01-23 23:18 | アート

漁港の肉子ちゃん

懸賞 2012年 01月 06日 懸賞

f0036354_1315848.jpg西加奈子さんの作品は、寒い雪の日に自動販売機で買う缶コーヒーに似ている。

心細いほど、かじかんだ指先をほっこりと温めてくれるような、心の中までじわじわと染み渡る限り無い優しさに包まれている。
風が吹けば折れてしまいそうな弱い心を、くだらないプライドや強がりという重い鎧兜で武装して生きている私たちに、そんなモノは必要ないよと、ハダカのままでいいんだと、自分は自分のままでいいんだと、圧倒的な肯定で、西さんの作品は語りかけてくれる。
「漁港の肉子ちゃん」も然り。
西加奈ワールドの泣き笑い、優しくも逞しい人生劇場に誘ってくれる、そんな一冊だ。

主人公は見須子(みすじ)菊子38歳。
太っているから皆から「肉子ちゃん」と呼ばれている。
小学校5年生になる美しく賢い娘の喜久子と北国の小さな漁港の街に住んでいる。

男に騙されて騙されて、そして騙された果てに、たどり着いた漁港の町。
焼き肉屋「うをがし」の老店主、サッサンに「肉の神様が現れた」とすっかり、気にいられ、店の裏にある小さな平家に住み込み働きながら、明るく陽気に、親子仲睦まじく暮らしている。

肉子はブスだ。そして、とんでもなく太っている。
頭も悪いし、鈍感で品がない。テレビが大好きで、暇があると食べてばかりいる。だからどんどん太る。
バリバリの関西弁で、しょーもないことばっかりを大きな声でしゃべりまくる。空気が読めない。
着る物も持ち物もとにかくセンスが悪い。いびきがでかいし、うるさい。
はっきり言ってうざい。
とっても恥ずかしい人である。

しかし、肉子はとにかく、明るく素直で能天気。そしてバカが付くくらいのお人よしだ。
頭が悪いが、相手が話す言葉を、そのまま真っ直ぐに聞き入れる感性をもっている。
そして、その身体にまとった肉ですべてを包み込んでくれるような深い愛情をもった人である。
なので北国の漁港の小さな町の人々も、肉子の天真爛漫な明るさと優しさに、まるでこの土地で生まれ育った人間と接するような温かいまなざしで家族のように付き合ってくれる。
一方、娘の喜久子は美人で賢く運動神経もよく、小5で家事もこなし、肉子の欠点を補いつつ、阿呆な肉子の事を大人のようなまなざしで優しく見守り、受け入れている。
しかし思春期にさしかかり、いろんな思いが彼女を悩ませるが、親である肉子はそんなことには頓着しないし、能天気で頭が悪いので、親らしい言葉もかけてあげられない。
そもそも喜久子も肉子に相談するという行為を諦めている。

「キクりん、何読んでるん?」
「サリンジャー」
「サリンジャーっ!なんとか戦隊の名前みたいやなっ!」

親と言う字は「木の上に立って見る」と書く。
あれこれ子供のことに口をはさみ、あーでもない、こーでもないと、子供に注文をつけるより
子供の成長を木の上に立って黙ってそっと見守るのが、多分きっと、それが親の役目なのだろう。

決して批判せず、良い面しか見ず、能天気にすべてを受け入れる肉子は、実は親の鏡なのかもしれない。

みんなに迷惑をかけることを気にしておなかの痛みを我慢した喜久子は、とうとう盲腸で入院する。
手術から目を覚ました喜久子に、サッサンが言う。

「生きてる限りはな、迷惑かけるんがん、びびってちゃだめら。
生きてる限り、恥かくんら、怖がっちゃなんねえ。子供らしくせぇとは言わね。子供らしさなんて、大人がこしらえた幻想らすけな。みんなそれぞれでいればいいんらて。ただね、それとおなじようにちゃんとした大人なんてものもいねんら。だすけ、おめさんが、いっくら頑張っていい大人になろうとしても、辛え思いや、恥ずかしい思いは絶対に絶対にすることになる。それは避けらんねぇて。だすけの、その時の為に備えておくんだ。子供のうちにいーっぺ恥かいて、迷惑かけて、怒られたり、いちいち傷ついたりして。そんでまた生きていくんらて。 迷惑かけたって大丈夫ら。オレはおめに遠慮なんてしねぇ。他人じゃね」


喜久子は幸せだ。親子二人きりだけれど、二人じゃない。家族じゃないけど、他人じゃない。サッサンや、鍵屋のマキさん、ペットショップの金子さん、二ノ宮、漁港の町の優しい人々に囲まれ、きっとこの先もいろんなことに悩みながらも、前を向いてまっすぐに生きて行くのだろう。恥ずかしい思いや、いろんな人々に迷惑かけて生きていくだろう。立派な大人でもなく、いい大人でもなく、肉子やこの漁港の人々と同じように、優しい大人になっていくのだろう。

あとがきに、この漁港のモデルは宮城県石巻市だと明かされている。
震災前、西加奈子さんが石巻を訪れたとき、町にひっそりと寂れた焼肉屋があった。
美味しい魚が食べられる土地でも、ときには焼肉が食べたくなるのかと、西さんは、この焼肉屋にすごく太った明るい女の人が働いていたら楽しいな、と思ったそうだ。
連載途中にあの震災が起きた。
「小説は例えばひとつのおにぎりに、何を尽力したってかなわないのだということを心に刻みながら、誰かの希望とか誰かの力になるというような大それた考えではなく、震災前に、きらきらした石巻のおかげで生まれた「漁港の肉子ちゃん」という物語を、ただ自分自身で愛し、慈しもうと思った」ということを西さんは書いている。
震災後「絆」という言葉が頻繁に飛び交った。一人歩きを始めた「絆」という言葉に少しうんざりもした。
「絆」なんて言葉より
本の帯に書かれていたコピーが言葉が胸をうつ。
「迷惑かけて生きていけ」
「みんな、それぞれ生きている。それでいい。」

by Ricophoo | 2012-01-06 01:32 |