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江戸五色不動

懸賞 2012年 12月 24日 懸賞

f0036354_2141136.jpg高田郁さんの「澪つくし料理帖シリーズ」に続き、和田はつ子さんの「料理人季蔵捕物控シリーズ」など読み進むうち2012年後半は、すっかり江戸時代のとりこになってしまいました。


1603年、徳川家康が幕府を開いて以来、発展を遂げた江戸の町。
元禄の頃には江戸は人口100万人を超えるような世界一の大都市となっています。
しかしその庶民の生活は実にシンプル、そして知恵と工夫で驚くほどのリサイクル&リユースが徹底されたエコロジースタイルが確立されていたのです。しかも粋でいなせで、遊び心と活気に満ちあふれ、現代に生きる私達さえ、憧れるほどの心豊かな生活や人々の暮らし、生き方がありました。

最近は小説だけでは飽き足らず、江戸時代研究家の杉浦日向子さんのエッセイはもちろん、江戸時代の庶民の暮らしぶりなど記した「江戸時代の生活白書」なる本まで買い込んで、古の時代に思いを馳せております。

江戸のことを知れば知るほど江戸の町の素晴らしさに圧倒されます。
その一つが家康の江戸城を中心とした計算されつくした都市づくりです。
関東入府にあたって「難攻不落の都市」を建設するために家康は綿密な都市計画を行っています。
東西南北にはそれぞれ「青龍」「百虎」「朱雀」「玄武」という守護神がいて、それぞれの方位を守るだけでなく、中心に富を運んでくれるという中国の古くから伝わる「四神」の思想を利用してのインフラ整備、また「風水」の基となる「陰陽五行説」を取り入れた地割など、そのきめ細やかさは現代の政治家に学んで欲しいところです。
江戸時代が260年以上もの繁栄を遂げた理由がわかるような気がします。

特に風水は江戸の街づくりに大きく関わっています。
家康から家光まで3代に仕えた天海僧正は、風水を応用して江戸の町を鎮護しようとした人物です。「陰陽五行説」では「黒」「赤」「青」「白」「黄」の5色の色がそれぞれ「土」「火」「木」「水」「金」を表すとされ、この五つの要素が組み合わされて世界が成り立つとされています。江戸城を中心とした江戸の町の繁栄も、様々な陰陽五行の力で守られていたような気がします。
もともと風水的には地勢の良くなかった江戸の町の鬼門封じを狙って置かれたといわれているのが、「江戸五色不動」です。
五色とは五方角(東・西・南・北・中央)を色で示したものです。
江戸城(青)を中心として、水戸街道、日光街道(黄)、中山道(赤)、甲州街道(白)、東海道(黒)といった江戸府内を中心とした五街道、この江戸城を守るために置かれたお不動様が、目黒、目青、目赤、目白、目黄の「江戸五色不動」と言うわけです。

と言うわけで、この江戸五色不動をすべて走って巡ってきました。

f0036354_2122857.jpg初めに目指すは「目青不動」。(世田谷区太子堂4-15-1)寺院名は「教学院」です。
渋谷駅から246を三軒茶屋方面へスタート。
教学院の創建は1311年江戸城内のもみじ山の位置にあったそうですが、その後、麹町や青山など(ご本尊は麻布から)から移転を繰り返し、現在は太子堂の教学院に奉安されています。
東急世田谷線「三軒茶屋」駅から5分ほどの線路沿いにあります。小さな寺院ですが厳かな雰囲気の薄い青緑の屋根が印象的でした。

f0036354_2142215.jpg次に向ったのは「目黒不動尊」。(目黒区下目黒3-20-26)寺院名は「瀧泉寺」です。
目黒通りの大鳥神社を右に見ながら山手通りを五反田方面へ。羅漢寺前の路地を右に入っていきます。
江戸三大不動、関東最古の不動霊場と言うだけあって大きなお寺です。
境内には垢離堂、前不動堂、勢至堂、阿弥陀堂、地蔵堂があり、山の手七福神の恵比寿神も祀られています。また江戸時代にサツマイモの栽培を広めた青木昆陽先生のお墓もありました。本堂の裏にまわると、露座の大日如来像が祀られていて、その凛とした美しさには息を飲みました。


f0036354_21423497.jpg山手通りから中目黒を右折、代官山から明治通りを通ってスタート地点の渋谷に帰りました。
渋谷から今度は明治通りを新宿方面へ向けて走ります。
目指すは「目白不動」。(豊島区高田2-12-39)寺院名は「金乗院」です。

目白駅から学習院大学を右に見ながら千登勢橋を渡ると直ぐです。
山門に弘法大師の石碑があります。五色不動の他のお寺は全て天台宗だったのに対しここだけが真言宗のお寺でした。住宅街の中にひっそりと佇む静かなお寺です。

f0036354_21223318.jpg次は不忍通りから本郷通りへ出て「目赤不動」(文京区本駒込1-20-20)を目指しました。
寺院名は「南谷寺」です。
江戸時代は千駄木の動坂に庵があったそうですが、鷹狩りに来ていた将軍家光の命によりこの地に置かれることになったそうです。この辺りは護国寺を始め、多くの寺院が点在していて、目赤不動の近くにも吉祥寺という大きな有名なお寺があります。
目赤不動も静かで落ち着いた趣のあるお寺でした。





f0036354_21193632.jpgついに4目不動を制覇、残すは「目黄不動」(台東区三ノ輪2-14-5)のみとなりました。
寺院名は「永久寺」です。

西日暮里、日暮里、三河島など線路沿いを走ります。
もうこの頃になると、肩で息をし、頭の中が白くなり、物を深く考えられなくなってきます。ただ目的達成のため、ひたすら足を動かすだけです。

明治通りへ出てしばらく行くと日比谷線の三ノ輪駅が!三ノ輪駅から徒歩2分ほどの判りやすい場所だと思っていましたが、山門もなく鉄格子の門扉があり、気をつけていないとうっかり通り過ぎてしまいます。小さな不動堂ですが、最近立て替えられたのか新しくモダンなつくりのお寺です。
「目黄不動」は実は2つあり、もう一箇所は江戸川区平井にある明王院最勝寺というお寺です。平井はちょっと遠いので、三ノ輪の目黄不動を選びました。

とうとう「江戸五色不動」完全制覇です。
帰りは国道4号をひた走り、秋葉原、東京駅に出て霞ヶ関から246に出て渋谷に戻りました。
本日の走行距離締めて47キロ。走行時間7時間45分。

今回「江戸五色不動の旅」を無事終えることができたのも、お不動様のご利益のおかげかもしれません。

世の中、クリスマスだ、ケーキだ、チキンだとキリスト教信者でなくても町をあげて浮き足立っておりましたが、「クリスマスに不動巡り」。こういう日本人的クリスマスの過ごし方があってもそれはそれ、また一興じゃないかと思う今日この頃です。

by Ricophoo | 2012-12-24 23:14 | | Comments(4)

阿賀に生きる

懸賞 2012年 12月 16日 懸賞

f0036354_2346033.jpg渋谷ユーロスペースで佐藤真初監督作品「阿賀に生きる」を観てきました。
そうです。あの伝説のドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」です。
何ゆえ伝説なのかと言うと、このドキュメンタリー映画は1992年、今から20年も前に製作上映された作品なのです。
1992年当時、映画館でドキュメンタリー映画が上映されることがなかった時代、異例とも言えるロードショー公開がなされ、公開後は第24回ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭の銀賞他四賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞、フランス・ベルフォール映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、サンダンス・フィルムフェスティバル グランプリ受賞など国内外の映画賞を総なめにした、映画史に残る傑作といわれ、映画ファンの間では伝説とされている作品です。

その「阿賀に生きる」が16ミリのニュープリントで上映されるというのですから映画ファン、ドキュメンタリーファンならずとも是非この機会に見ておきたい作品です。
DVD上映はあっても、もしかするとこのような上映環境でロードショーできるチャンスは、今後もうあり得ないかもしれません。
朝10時45分からの一回のみのモーニングロードショー、しかも本日最終日ということで場内は満席、期待が膨らみます。

画面は大雨、濁流の阿賀野川から始まります。
1989年、映画監督の佐藤真と7人のスタッフは、新潟水俣病の被害を受けた阿賀野川流域へと赴き撮影を開始します。
映画の主役は3組の老夫婦。一組目は長谷川芳男さんとミヤエさん。芳男さんは、昔は鮭漁の名人でしたが、今はミヤエさんと2人で先祖から受けついだ田んぼを守り続けています。歌うことが大好きな陽気なご夫婦です。
二組目は遠藤武さんとミキさん。武さんは阿賀野川を行き来する200隻以上の川舟を造り続けてきた誇り高い船大工でした。頑固職人を絵に描いたようなおじいさんですが、美味しいお茶と優しい表情で遊びに来た人たちを手厚くもてなしてくれます。
三組目は、加藤作二さんとキソさん。餅つき職人の仲の良い夫婦です。寝たり起きたりのキソさんですが、にこやかに笑いながらも大酒呑みの作二さんを手のひらで転がしています。
しかし、このどこにでもいるおじいさん、おばあさんたちは、実は新潟水俣病を患う患者です。

豊かな水量を誇り、日本海へと注ぐ新潟県、阿賀野川。
1965年新潟県の阿賀野川一帯で昭和電工株式会社によりもたらされた有機水銀の垂れ流しによって水俣病をもたらしたことでも知られるこの川の流域に住む老人たち。
自然を愛し、自然と共生し、自然との強い結びつきの中、自然の恩恵を受けて生きていました。
しかしそれ故に被害を受けてしまった人々は、それでも変わらず川とともに生きています。生きていていくほかないのですから。
美しい阿賀野の風景、阿賀野の川音、鳥たちのさえずり。
囲炉裏には炭がおこされ季節ごとの川魚や山の幸を食し、餅をつき、仲間や親しい人たちが集まっての酒宴では皆が自慢の歌を披露したり、かつて川漁が盛んだった頃の自慢話が日夜賑やかに花咲いています。
阿賀野には人々の繋がり、温かさがあります。自然や伝統を守ろうとする力強さがありました。皆一様に自分の仕事と生き様に誇りを持ち続けて、見事な年のとり方をしています。
本当の豊かさとはそういう事なのかも知れません。
そんな罪もない人々が公害の直撃を受け、コミュニティの破壊を体験したのです。
「阿賀に生きる」は、過去の映画ではなく、東日本大震災や原発事故を経験したわれわれが生きていく世界に、ひとすじの光を投げかけているのではないでしょうか?
これからの私たちは「自然を内包した生き方」「自然と共生する人間の力強さ」を呈しそこに希望や未来を描いていくべきではないのか…そう当時のスタッフのお一人が書かれています。

上映中、何度も苦笑、爆笑する場面が多々ありました。「阿賀に生きる」は新潟水俣病の悲痛さを声高に訴えるドキュメンタリーではありません。マイケルムーアのドキュメンタリーのような強引さもありません。
それは、監督やスタッフたちが、3年にわたって阿賀野川の民家で共同生活をし、
老夫婦の田植えを手伝ったり、お餅をついたり、酒を呑み交わして歌を歌ったりと、
息子や孫のようにつきあって老人たちとの生活に溶け込んでいったからこそ、撮る側と撮られる側の壁を越えたものになったからでしょう。作り手の愛情が阿賀野に暮らす人々に優しく伝わっていったのだと思います。老人達の屈託ない笑顔を見ていると本当に温かい撮影現場だったことがうかがい知れます。
だからこそ水俣病の恐ろしさ悲痛さがあえて炙り出されているような気がします。
20年の時を超え、今このドキュメンタリーが蘇ったことに、何か大きな意味を感じずにはいられません。

by Ricophoo | 2012-12-16 23:43 | 映画 | Comments(2)