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落語協会[真打襲名披露興行]

懸賞 2014年 03月 23日 懸賞

f0036354_1471314.jpg3月21日上野鈴本演芸場の下席(夜)初日を見に行きました。

この日はちょうど落語協会の真打襲名披露興行が行われるということで、会場はほぼ満席でしたが、運良く前から6列目位に座ることができました。

今回真打に昇進するのは
柳家小権太あらため3代目柳家東三楼さん(37)。
鈴々舎風車あらため4代目柳家三語楼さん(38)。
三遊亭亜郎あらため三遊亭究斗さん(51)。
古今亭志ん公あらため5代目古今亭志ん好さん(37)。
桂才紫あらため3代目桂やまとさん(39)の5人です。

こうして皆さんの年齢を見てみると、大体、落語家になろうと師匠の門を叩いて真打になるまで15、6年ほどかかるのが一般的なようですね。

しかし良く見ると三遊亭究斗さんはなんと51才!どうしてまた?と思って調べてみると彼はあの劇団四季のミュージカル俳優を10年もなさっていたという変わり種。

前職がサラリーマンだったという方は結構いらっしゃいますね。
三遊亭歌武蔵さんが元力士、その他にも元僧侶なんていう方もいらっしゃるようです。

「ミュージカル落語で日本中に名を轟かせたい」
先だって行われた襲名披露の会見での究斗さんの弁。
どんな落語になるのか期待が膨らみます!

真打昇進襲名披露興行は、この3月21日の上野鈴本演芸場を皮切りに、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、そしてラストはの5月の国立演芸場まで50日間に渡ります。

21日はその襲名披露興行のまさに初日、本日は他の四人に先駆けて柳家東三楼さんの登場です。

当然ながら真打ですからあとにも先にもこれが人生初のお披露目の舞台です。

どんなお気持ちでトリの舞台を待っていらっしゃるのかと思うと次第に緊張感が高まってきます。

ちなみに柳家東三楼さんの師匠は柳家権太楼さん
柳家三語楼さんの師匠は鈴々舎馬風さん
三遊亭究斗さんの師匠は三遊亭円丈さん
古今亭志ん好さんの師匠は志ん橋さん、
桂やまとさんの師匠は桂才賀さん 
ということで、この日は襲名披露の花向けに各師匠や兄弟子の方々が出演されているとあって、なかなか普段では聴けないプログラムとなっていました。

●三遊亭 美るくさん・・・【元犬】良く通る声と溌剌とした話しぶりに元気をもらえます。女性の前座さんは気のせいか「元犬」を演じることが多い気がします。その中でも美るくさんの「元犬」は可愛らしさが際立っています。

●柳家 甚語楼さん・・・【黄金の大黒】店子達が大家の家に羽織を借りて代わる代わる口上を言いに来るところまでの短縮版。元々は上方のネタだそうですが、廃れていたこの噺を掘り起こして磨きをかけたのが若き日の立川談志師匠なのだとか。

●松旭斎 美智・美登さん・・・【マジック】美智さんの結び目のマジックはいつ見ても華があります。美登さんがいるのに、客席のおじさんを2人もアシスタントとしてこき使う美智さんのキャラの強さに脱帽。

●古今亭 志ん輔さん・・・【替り目】NHK「おかあさんといっしょ」のコーナーで志ん輔さんが、ぶたくんとへびくんを使ってマペットモペットの先駆けみたいな事をやっていたのは、もう20年以上前になるでしょうか?当時の幼児や保護者からは、熱狂的な支持を受けていた志ん輔さん。20年ぶりの志ん輔さんとの再会です。落語を聴くのはこれが初めてですが、そのずば抜けた巧な話術とベテランの風格に時を超えて再リスペクトです。

●鈴々舎 馬風さん・・・この方も落語というよりテレビでの活躍が有名ですね。豪放磊落な印象そのままの高座でブラックジョークや友人知人のネタを交えながら「話に引き込む」技術、「笑わせる」技術はさすが落語協会前会長の成せる技!

●入船亭 扇辰さん【道灌】・・・前座噺とよく言われている「道灌」ですが、大御所クラスも好んで演る噺です。やはり基本がきちんと出来ていないと面白い話のオチには辿りつけません。そこはさすがの扇辰さん、柔らかで落ち着いた雰囲気と端正な口調、繊細な演技力とその格調高さには舌を巻きます。

●にゃん子・金魚さん【漫才】・・・ご存知すず風にゃん子・金魚さん!お約束、いつものネタでいつもの笑いをとっていました。同じネタでも「爆笑」させる圧倒的な雰囲気作り。ベテランの味わいです。

●三遊亭 圓丈さん【創作落語】・・・落語の「桃太郎」の流れで「三匹の子ブタ」が入りつつ「シンデレラ」まで入り乱れる圓丈さん得意の創作の妙が光ります。この圓丈師匠の創作落語と弟子の究斗さんのミュージカル落語の融合は落語ファンならずとも期待が膨らみます。

●林家 木久扇さん・・・笑点でもお馴染みの木久扇さん。日本中でお年寄りから子供まで一番愛されている落語家といえば木久扇さんではないでしょうか?「おバカキャラ」を売りにしている木久扇さんですが最近は「もしかしたら本当にすこしボケが始まっているのかも?」という不安に駆られる時がありますが、笑点での裏話、入門したころの思い出や彦六師匠とのやり取りなどをモノマネを交えながら客席を爆笑させていらっしゃいました。(まだ大丈夫)

●柳家 権太楼さん【代書屋】・・・権太楼さんの鉄板ネタ「代書屋」を存分に堪能しました。落語ファンなら一度はこれを聴かなきゃ権太楼さんを語れません。わかりやすさと独特のリズム、小細工なしの笑いを真正面からぶつけてきます。今日のトリを務める弟子の東三楼さんに「これが落語の真髄だ!」とばかり力強い爆笑落語を見せつけてくれました。

仲入りを終え、幕が上がるといよいよ真打昇進襲名披露口上です。

幕が上がり 左から、市馬さん(落語協会副会長)、木久扇さん(落語協会相談役)、中央に主役の東三楼さん、その横に師匠の権太楼さん、馬風さん(落語協会前会長)と黒紋付でずらりとならび口上を述べていくのですが、真打昇進の本人はその間ずっと頭を下げています。

市馬さんの祝いの相撲甚句あり、権太楼師匠の語る「東三楼」の名前にまつわる裏話あり、木久扇さんのモノマネあり(宇宙人ネタもやってくれました)で寿いだ中にも笑いに包まれた温かい雰囲気の披露口上となりました。

最後は東三楼さんの挨拶のあと、観客を交えての三本締めで終わりました。

●三遊亭 歌る多一門【松づくし】・・・今年はこの歌る多一門の松づくしを見るのは3度目になります。松の名所を並べておめでたい数え歌にしたもので三味線の音色に合わせ松の扇子を操りながら踊る粋な曲技です。

●柳亭 市馬さん【出来心】・・・市馬さんファンを自認する私としたことが今年は市馬さんの落語を聞く機会がなかなかありません。反省しきりです。市馬さんの演じる泥棒の弟子は、ちょっと知的な感じがしました。欲を言えばもっと間抜け感じがあってもよかったかなと。

●林家 正楽さん【紙切り】・・・今日のお題は「はね馬」、「東三楼師匠と権太楼師匠」、「東京音頭」、「上野の花見」、「正楽さん」。客席からの難問にもめげずに今日も完璧に応えてくださいました。

●柳家 東三楼【幾代餅】・・・この噺は米屋の奉公人の清三が吉原の花魁 幾代太夫の錦絵を観て一目惚れしたことで始まる「幾代餅」ですが、主人公の奉公先が「紺屋」(染物屋)で花魁の名前が「高尾太夫」になれば「紺屋高尾」という噺になりますが「幾代餅」が本当なのかなと思います。というのも、幾代餅は元禄17年に創業した西両国の小松屋で実際に売られていた餅菓子なのだそうです。車頭の喜兵衛が吉原河岸見世の遊女・幾世太夫を妻に迎え両国橋の西詰で幾世自らが焼いた餡入りの餅菓子を「いくよ餅」と名づけて売りだしたのが始まりで街中の評判となって偽物まで出回ったと言われています。

どちらにしても正直に一生懸命やれば未来が開けるという、おめでたいお話です。

東三楼さんの良く通る声とキレのある話しぶり。真打襲名披露初日のトップバッターを務める東三楼さんの緊張感がいい意味で伝わってきた一席でした。

失礼ながら、今まで小権太さんの落語を聴く機会はありませんでしたが、東三楼襲名披露の現場(一世一代の晴れの舞台)に偶然にも立ち会うことができ、嬉しく思うとともに、これも何かのご縁。
これを機会に柳家東三楼さんのご活躍を見守りながら、応援していきたいと思います。

by Ricophoo | 2014-03-23 13:20 | 落語 | Comments(0)

あなたを抱きしめる日まで

懸賞 2014年 03月 21日 懸賞

f0036354_0432355.jpgスティーヴン・フリアーズ監督作品「あなたを抱きしめる日まで」(原題PHILOMENA」)」を観てきました。
原題のとおり、この作品は実在するアイルランド人の主婦フィロミナ・リーさんが2009年にイギリスで出版された実話を映画化したものです。

1952年のアイルランド・ロスクレア。18歳で未婚の母となったフィロミナは親から強制的にカトリックの修道院に入れられます。そこでは同じ境遇の少女たちが「堕落した女」と見なされて出産の面倒を見る代わりに過酷な強制労働を強いられていました。フィロミナは産まれた子供をアンソニーと名づけ1日1時間の面会しか許されない中でも我が子を懸命に愛し、そして生きがいにしていました。
ところが3歳になったある日、息子のアンソニーを修道院が金銭と引き換えにアメリカに養子に出してしまいます。
フィロミナは成すすべもなく「絶対に息子の行方を捜さない、誰にも息子のことを話さない」ことを誓約書に署名させられます。
それから50年後、フィロミナは、隠し続けてきた秘密を娘のジェーンに明かします。
50年の間一瞬たりとも忘れたことのない引き離された息子への思い―。
その思いを受け止めた娘のジェーンは知り合いの元BBCのジャーナリスト マーティンに相談します。エリートジャーナリストとして活躍していたマーティンは、あるスキャンダルで職を追われ失意のどん底にいました。高尚なテーマしか興味のないマーティンでしたが、フィロミナの話を聞くうちに再起のチャンスと捉えて、二人でアメリカへ息子探しの旅に出ることになります。共通点のない凸凹コンビの旅の始まりです。

この「あなたを抱きしめる日まで」は暗く悲しいシリアスなテーマですが、コメディの要素を取り入れ、ユーモアを作品のなかに散りばめることによって観客が物語に自然に入って行くことができるようになっています。
主人公はロマンス小説が大好きで、どんな小さなことでも感謝を忘れない、ちょっと世間知らずな可愛いおばあちゃんを名優ジュディ・デンチが茶目っ気たっぷりに演じています。

緩急の使い方が実に見事でスティーブン・フリアーズ監督の演出の妙を実感しました。

修道院が行った行為は人身売買です。修道院は神の名を借りた邪悪な行為を隠すために「アンソニーの行方は分からない、なぜなら証拠は教会の火事によって全て消失してしまった」と言うのです。実は火事などではなく、自分たちに都合の悪い証拠書類を焼却炉で燃やしてしまったのです。これは神に仕える宗教家の人間のする行為でしょうか?映画を見ながら怒りに震えました。
フィロミナのかつて書いた宣誓書だけは奇跡的に残っていたと都合のいい偽りの証拠まで突きつけるのですから呆れてモノも言えません。

アメリカへ渡った二人は細い糸を手繰るようにアンソニーの行方をさがしますがなかなか手がかりを見つけられません。
始めは期待に胸をふくらませ渡米したフィロミナでしたが、「息子がホームレスだったら?」「麻薬中毒だったら?」「刑務所に入っていたら?」と息子との再会という現実を前に、不安を漏らします。
そんな中、マーティンが移民局のファイルにアンソニーの記事を見つけます。
アンソニーはアメリカ人夫婦の養子にされていました。
マイケル・ヘスという名前になり、保守的な家庭に育ち優秀だった彼は成長し弁護士になっていました。
レーガン政権においては共和党全国委員会の法律スタッフとなり、ブッシュ政権下では主席法律顧問にまで登りつめていたことを知ります。
奇遇にも政治記者だったマーティンはアンソニーを取材したことも分かりました。
「私のもとでは、こんなに立派にはなれなかったわ」フィロミナは嬉しそうに、そして少し寂しそうに呟きます。
しかし、本当の現実は残酷でした。アンソニー・・・つまりマイケル・ヘスは数年前に病死していたのです。死因はエイズでした。そして彼はゲイでした。
フィロミナは、数奇な運命を辿った息子の生涯を悲しみました。
しかしフィロミナは彼がゲイだったと聞いても少しの同様も見せません。
「分かってたわ。あの子は少し繊細なところがあったから・・・」
フィロミナは、驚かなかったというより、聞いた瞬間に息子の全てを受け入れたのだと思います。

80年代初頭のレーガン政権は所謂ホモフォビア(同性愛を嫌悪する人々)の巣窟でした。その中枢にいた彼の苦悩、葛藤は計り知れないものがあったと思われます。

フィロミナとマーティンはマイケルのことを少しでも知るべく、マイケルの恋人だったピート・オルソンとコンタクトを取ろうとしますが、ピートはフィロミナ達を拒絶します。
なぜ?どうして?マイケルはフィロミナを憎んでいたのでしょうか?
二人が諦めかけたとき、マーティンはマイケルの写真に重要なメッセージとも言えるものを見つけます。それはマイケルのジャケットに輝く、アイルランド・ケルト族のハープを象ったピンバッチです。
マイケルは母の国であるアイルランドを憎んではいなかったのです。
そしてフィロミナとマーティンはピートの自宅を訪ねます。
そこで、マイケルの幼い頃の写真、ピートと出会った頃の写真など、マイケルが人生を謳歌して生きていたことを知ります。
そして病に冒され、ピートと二人で生みの親であるフィロミナの消息を訪ねアイルランドの修道院まで来ていたという衝撃的な事実を知ることになります。
無理やり引き離されたあの日から、フィロミナは一日たりとも息子のことを忘れたことはありません。
そして息子も死の淵に立ち、自分を産んでくれた母に一目会いたいと、病をおしてアイルランドまで会いに来てくれていたのです。
夢にまで見た瞼の息子は、実は手を伸ばせば触れ合える、すぐそこにまで来ていたのです!
しかし修道院では、会いに来たマイケルにフィロミナが面会を拒絶していると嘘をついて追い返していたのです。
フィロミナがそんな仕打ちをされる理由はどこにもありません。
映画を見ながら、怒りで体が震えました。
これが神様に仕える人たちのすることでしょうか?
人間の心を持っているとは到底思えない、優しさのかけらもない悪魔の所業です。

そしてマイケルが亡くなった後、養父と埋葬地のことで揉めたピートは、マイケルの意思を尊重し、彼が産まれたアイルランドの修道院にお墓を建てていたという二重の衝撃的事実。
マイケルがアメリカではなく、アイルランドへの埋葬を希望したこと、それは母国へ埋葬されることで、母親の中に帰ると言うことを意味していたのではないでしょうか?

フィロミナとマーティンの旅は、スタート地点のアイルランド・ロスクレアの修道院に戻りました。
見ている私たちの気持ちを代弁してくれるかのように、嘘つきの憎むべき修道院とシスター達に怒りをぶつけるマーティン。
しかし、そんなマーティンを前にフィロミナは静かに言います。
「私はあなたたちを赦します」と。
寛容と慈悲に満ちあふれたフィロミナの表情と言葉には限りない母の愛の深さを感じずにはいられませんでした。

イエスが弟子たちに教えたキリスト教の中心的な「主の祈り」があります。

「我らに罪を犯すものを我らが赦す如く我らの罪も許したまえ」

キリスト教の神は本来 裁く神ではなくコンパッション(慈悲)そのものの神であると言われています。神に愛され、赦されていることを知るからこそ、他者を赦すことができるのです。

フィロミナは修道女たちなんかよりもずっと神の慈悲と言うものを知っていたのです。

フィロミナは現実の息子を抱きしめることはできませんでした。
しかし彼女は神様から抱きしめられ、抱きしめられていることを知っていたからこそ、更に大きな愛で、息子の人生の全てを、そして神様までもを抱きしめることができたのではないかと思います。

映画のモデルとなったフィロミナ・リーさんは一度カトリックの信仰を捨てましたが、再び信仰に戻り今でも教会で蝋燭を灯し祈り続けていらっしゃるそうです。

by Ricophoo | 2014-03-21 00:24 | 映画 | Comments(0)

大統領の執事の涙

懸賞 2014年 03月 18日 懸賞

f0036354_1291829.jpgリー・ダニエル監督作品大統領の執事の涙を観てきました。

この映画は、黒人差別問題、ケネディ大統領の暗殺、公民権運動、ベトナム戦争、KKK等アメリカが時代のうねりの中で大きく動いていた時代、ホワイトハウスで執事として歴代7人の大統領に仕えた実在の人物「ユージン・アレン氏」の実話をもとにした作品です。

アメリカの暗部 負の歴史である黒人差別問題を、父と息子の確執、家族の問題とを交差させながら、一人の黒人執事の目を通して決して大仰ではなく、本当のアメリカの姿を私たちに訥々と語りかけてくれるような傑作だと思います。

主演を務めるのは『ラストキング・オブ・スコットランド』のフォレスト・ウィテカー、そして脇を固める俳優陣はアメリカを代表するTV番組司会者として知られるオプラ・ウィンフリーを始めロビン・ウィリアムス、ジョン・キューザック、マライア・キャリー、ジェーン・フォンダ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、レニー・クラヴィッツ、テレンス・ハワードなど豪華絢爛 実力派俳優達が大結集しています。

【あらすじ】
黒人差別が日常で行われていた時代のアメリカ南部。幼いセシル・ゲインズは、両親と共に綿花畑で奴隷として働いていたが、雇い主に父親を殺されたのち、ハウス・ニガー(家働きの奴隷)として雇われる事になる。
その後、セシルは一人で生きていくために見習いのホテルのボーイとなり、遂には大統領の執事にスカウトされる。
それ以来、セシル(フォレスト・ウィテカー)は、約30年間ホワイトハウスで執事として過ごし、
アイゼンハワー(ロビン・ウィリアムズ)、ケネディ(ジェームズ・マースデン)、ジョンソン(リーブ・シュレイバー)、ニクソン(ジョン・キューザック)、フォード、カーター、レーガン(アラン・リックマン)といった7人の大統領に仕え、キューバ危機やケネディ暗殺、ベトナム戦争など歴史が動く瞬間を一番近くで見続けてきた。
そんな時代の中でも、彼は黒人として、そして執事としての誇りを持ちながら忠実に働き続けるのだった。だが執事であると同時に、夫であり父であったセシルは、家族と共にその歴史に翻弄されていく―。


物語は始めにルイスがハウスニガーから、ホテルのボーイ、そしてその働き振りが認められ遂にはホワイトハウスの執事に抜擢されるまでのサクセスストーリーを描いていますが、中盤からセシルとその息子ルイスとの確執が大きなテーマとなっていきます。

大学で革命運動を始めたルイスと、ホワイトハウスに仕える父・セシル。二人は同じアメリカに暮らしながら、全く別の道を歩んでいきます。

ホワイトハウスに勤務する執事―。何の考えも持たない一般の人間からすれば、ある意味 人も羨むエリートとして捉えることもできます。
しかし、ルイスの目には父の姿が白人に諂い従者として仕えている、まさに黒人差別の象徴と写っていたのではないでしょうか?

セシルの父は奴隷として理不尽に命を奪われます。恐怖と失意から、セシルは暗黒の歴史の中で、抗うこともせず自分の置かれている環境に懸命に縋り、その日その日を生きることに必死だったのです。

ホワイトハウスの執事として求められるもの、優雅で美しい身のこなし。そして一番大切なのは、その空間の「空気」になること。
常に相手の心を読み、求められる回答で受け答えを行い、いつでも忠実に働き続けること。
黒人としての誇り、執事としての誇り、これがセシルにとっての戦うための鎧であり剣なのです。

空気のように自らの存在を消して職務を全うすことで黒人差別と戦う父。一方、ストレートに黒人の解放を求めるため、声を上げ、行動を起こして行く息子。
「静」と「動」・・・皮肉なものでお互い同じ人種解放という思いを抱えながら考え方とアプローチの手法が違いすぎて、すれ違い、確執の末に、二人はとうとう絶縁状態になってしまいます。

「お父さんは世の中を良くするために白人に仕えているのよ」

夫の仕事に理解を示し息子達に諭していたセシルの妻グロリアも父と息子の確執の狭間で次第に苦しみを募らせていきます。
ケネディ大統領の暗殺事件の夜、グロリアは夫に「そんなこと、知ったこっちゃない!」と吐き捨てます。
崩壊しかけた家族を見つめていた彼女の心の叫びだったのでしょう。
家でひとり、家族を見守っていた彼女にとっては、大統領が殺されようが、差別問題に革命を起こそうがそんなことは「知ったこっちゃない」ことなのです。

しかしそんな両親の思いとはうらはらにルイスは、過激な運動に手を染め、自らの命を危険に晒し国と戦い続け、次男のチャーリーはそんな兄に反発しベトナム戦争へ・・・。果たしてセシルとルイスに和解の日は来るのでしょうか?

そして2009年1月 黒人初のアメリカ大統領が誕生します。
その名はバラク・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領です。

その大統領就任式に この物語の主人公、90才になったユージン・アレン氏も要人待遇で招待されたそうです。

激動の時代の中、家族を守り養うため、執事として誇りを持ち国に仕え懸命に働くことで戦った父、声を上げ理想に燃えて国を相手に差別と戦った息子。交わることのなかった二人の思いが、アメリカという国の暗黒の歴史の中で苦しんできた人々の思いが一つの星となって輝いた瞬間でした。

しかし黒人初のアメリカ大統領が誕生しても、悲しいかな様々な差別は未だ世界中からなくなる事はありません。
問題は複雑で難しいことなのでしょうか?肌の色でしょうか?宗教でしょうか?住んでいる土地でしょうか?
同じ地球上に住む人間同士、優劣がつけられるのでしょうか?
人間としての誇りを持ち
人が人を思い、それぞれの違いを認め、敬い合えば自ずから差別などなくなる気がするのですが
それは私の理想論でしょうか?

最後に2013年12月に亡くなった
反アパルトヘイト(人種隔離)政策闘争の指導者として活躍された
ネルソン・マンデラ氏の言葉を紹介します。

「人種差別は魂の病だ。
どんな伝染病よりも多くの人を殺す。
悲劇はその治療法が手の届くところにあるのに、まだ掴み取れないことだ。」

by Ricophoo | 2014-03-18 12:00 | 映画 | Comments(0)

ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅

懸賞 2014年 03月 18日 懸賞

f0036354_0385611.jpg3月に入って映画を立て続けに3本観ました。
それぞれ内容は違えど、親を思う子の心、子を思う親の心、優しくも深い愛に包まれた親子の絆を描いた胸を打つ作品ばかりでした。




アレクサンダー・ペイン監督作品ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅」を観てきました。
物語はモンタナ州に住む大酒飲みでちょっとボケが入った頑固な老人ウディのもとに、100万ドルを贈呈するという誰が見ても明らかに怪しい宝くじの入った手紙が届くところから始まります。
詐欺とも知らず、すっかり信じ込んでしまったウディは、妻や息子達の声にも耳を貸さず、歩いてでも賞金をもらいにいくと言って聞きません。
そんな父を見かねた心優しい次男のデイビッドは、父を車に乗せてネブラスカまで連れていくことになります。
モンタナからネブラスカまで1500キロ。

今までお互い触れ合うこともなく過ごしてきた、無口な父との初めての旅。
ただそれだけのシンプルな話です。

「控えめで飾り気のない物語だから」こそのモノクロ映像。
監督アレクサンダー・ペインの演出が心憎いです。
そんな二人の旅の途中で立ち寄ったウディの故郷。
デイビッドはそこで両親の意外な過去を知ることになります。
若かりし頃の両親の思い出、両親をとりまく親戚や街の人達。

ウディが大金を手にしたと勘違いし、金の無心をする人間、脅迫する人間、果ては強奪まで考える人間まで出てきます。
シンプルなストーリだからこそ際立つペインの深い人間観察眼が光を放ちます。
ラスト近く「100万ドルで何をするのか?」と聞く息子に老いた父は「空気圧縮機とトラックが欲しい」と言います。
どちらも今の父親には無用なものばかりです。
「それだけならそんな大金はいらないだろう」という息子に父は一言「息子たちに残したい」とつぶやきます。

映画のチラシにあった「まわり道がもたらした人生最高の当たりくじ」というコピー。

人生最高の当たりくじとは一体なんなのでしょう?
頑固で無口な老いた父に中年の心優しい息子がそっと寄り添う、ありきたりのヒューマンドラマと侮るなかれ。キラキラ輝く素敵なものがたくさん散りばめられた映画です。

世知辛い世の中、いいことなんてなんにもないと、やさぐれたくもなりますが

実は、周りを見渡せば、私たちの周りにはお金以上に価値のあるもので溢れているのです。

by Ricophoo | 2014-03-18 00:29 | 映画 | Comments(0)

我らの時代 落語アルデンテⅧ 鯔背(いなせ)アルデンテ

懸賞 2014年 03月 15日 懸賞

f0036354_23374270.jpg2月22日 日本橋・三井ホールにて「我らの時代 落語アルデンテⅧ 鯔背(いなせ)アルデンテ」を観てきました。
鯔背と書いて「いなせ」と読むんだそうです。
巷では、ちょっと小洒落た人に向って「粋でいなせだね~」なんて言ってみたりしますが、「いなせ」と言うのは実は「威勢がよくさっぱりとした気っ風」という意味なのだそうです。
鯔背の「鯔(いな)」は魚の「ぼら」の幼魚のことで、この「ぼら」の背びれが江戸時代 日本橋の魚河岸の若者たちの間で流行した髷の形に似ていたため、その威勢のいい若者たちの気っ風を「いなせ」と呼んだことからきた言葉だということです。
今日は江戸落語を牽引する人気噺家4人が、どんな粋で鯔背な噺を聴かせてくれるか楽しみです。
開口一番は、
●春風亭一力さん『たらちね』・・・落ち着いた話しぶりがなかなかどうして。

●春風亭百栄さん『ジャム浜』・・・マクラは「落語家インタビュー」から入り「実はまだ何をやろうか考えてないのですが・・」と始まった時、「三題噺」キタ~って感じでした。そして言わずもがなの「芝浜」ならぬ「ジャム浜」。う~ん(;´д`)好きな人には堪らない十八番なんでしょうね~。

●三遊亭兼好さん『片棒』・・・今年の兼好さんはやはり何かが違う!落語の神様が降臨してきたかのようなしゃべり。いつまでも兼好さんの噺を聞いていたい!そんな気分にさせられます。面白いのは言うまでもありませんが、彼の表情、噺が印象深く心に残ります。

●春風亭一之輔さん『お見立て』・・・前回の一之輔さんの独演会で聴いたのと同じ演目「お見立て」でしたが前回の方が時間もたっぷりあったので一之輔ワールドが炸裂でしたが、今回は短縮版でサラリと。この話は、もはや一之輔さんの代表作と呼んでもいいような気がします。完成度が高い!

●桃月庵白酒さん『禁酒番屋』・・・久しぶりの白酒さんでしたが、やはりトリを務めるのはこの人しかいない!
【禁酒番屋】禁酒令が出たある藩のお屋敷、禁を破り酒を持ち込む者が多くなったため屋敷の番屋で監視することになった。客に頼まれた酒屋がなんとか分からないように屋敷に酒を持ち込もうと苦心を重ねるが、全て役人に見つかり、飲まれてしまう。最後の手段で、一升瓶におしっこをいれて「小便です」と正直に言って屋敷に乗り込む。役人は酒屋が、また嘘をついていると思い込み一升瓶を奪い取り検分と言いながら飲んでしまう・・・。
いつものことながら、シレっとした顔で強烈な毒を吐く白酒さんの落語は病みつきになります。「禁酒番屋」はまさに毒を以て毒を制す白酒さんにぴったりの噺です。自分にとっての面白さを常に追求されていて、落語初心者でも落語通でも関係なく常に爆笑させる古典をハイレベルに提供してくれるのはさすがとしかいいようがありません。

この「鯔背(いなせ)アルデンテ」はホール落語には珍しいワンドリンク付。
開場時にビールやカクテル、ソフトドリンクなど好みの飲み物を受け取ります。そしてなんと自席まで持ち込むことができるというから驚きです。飲みながら落語を堪能できるという文字通り粋で鯔背な落語会でした。私は瓶入りのピニャコラーダを飲みました。落語が終わった後また飲もうと、一口残しておいたピニャコラーダ。禁酒番屋を聴いてから飲むのには勇気が要りました。ビールでなくてよかったです。

by Ricophoo | 2014-03-15 23:26 | 落語 | Comments(0)

京都マラソン2014

懸賞 2014年 03月 01日 懸賞

f0036354_0492587.jpg2月16日、第三回
京都マラソンを走ってきました。
14日金曜日の午後から降り出した雪は2週連続の大雪をもたらし、関東一円に大きな被害が出ました。東横線では雪の影響で15日未明に元住吉で衝突事故が起きてしまい電車が不通となっていました。15日の朝、新横浜から新幹線で京都へ向かう予定だったのですが、早々と新横浜を諦め、品川から新幹線に乗り込みました。
東京は雪に埋もれてまともに歩けない状態でしたが、京都は雨。雪はかけらも降っていませんでした。
気温も思ったほど寒くはありません。日本は狭いようで広いなあと実感しました。

ホテルに荷物を預け、マラソン受付会場のある、東山の「みやこメッセ」へ。
みやこメッセでは前日受付を済ませ、マラソン当日の朝 京都駅からスタート会場の西京極競技場まで行くシャトルバスのチケットを買いました。地下鉄を利用してもいいかと思いましたが、当日朝は混雑が予想されるうえ慣れない土地でもあるため、シャトルバスの方が安心だと思ったからです。

未明まで降り続いた雨も6時前には上がり、2月16日、マラソン当日は気持ちのいい晴天となりました。しかしその分冷え込みは厳しく、最低気温は3℃。(これが噂に聞いた京都の冬の寒さなのか!)(当日の最高気温は9℃まで上がりました。)
朝6時30分、京都駅バスターミナルから続々とマラソン参加のランナーの人たちを乗せたシャトルバスが走り出します。西京極競技場までは京都駅から12、3分ほどで到着しました。(バスで正解でした!)

京都マラソンは、西京極競技場スタート、平安神宮がゴールのワンウェイコースなので、荷物をトラックに預けて運んでもらうようになっています。早々と荷物を預けてしまったので寒さよけにカイロを貼ったり、ゴミ袋を被っていましたが、スタート時間まで約1時間ほどの待ち時間の間に体がすっかり凍えてしまい、かなり辛かったです。

9時、スタートの号砲とともに、1万6千人のランナー達が西京極競技場を後にして、西五条通りへ走り出します。
暮れの高校駅伝の中継でおなじみの景色を今実際に走ってるんだなと思うと、小さな感動を覚えました。
葛野大路五条で左折、さらに四条通りを西に進んで嵐山の方向に向かいます。
罧原堤に出ると、雪で真っ白になった嵐山が正面に見えます。左には桂川の清流。
しばらく行くと渡月橋が見えてきました。昨年の大雨の被害から見事立ち直った姿が実に感動的でした。
その後、大覚寺門前の交差点を通過。広沢池のほとりに出ました。

f0036354_0561435.jpgそして世界遺産の仁和寺。なんと言っても一番びっくりしたのは、その仁和寺の和尚様達が総出で私たちランナーを応援してくださったことです。京都マラソンの醍醐味とも言える瞬間です。
きぬかけの道を通り、西大路通りへ。さらに北大路通りから紫竹の街並みを抜けると、鴨川のほとりに出ます。北山通りへ入り、正面に見える雪化粧した比叡山の姿がきれいです。ノートルダム女子大のあるあたりから左へ折れて京都国際会館へ続く道は、京都マラソン名物地獄の「狐坂」。中間点を少し過ぎたところでくる最大のヤマ場とも言えます。「な、なんじゃ~!こりゃ?」と思わず口に出てしまうほどのきつい勾配の上り坂でした。
実は、この狐坂を超えたあたりのエイドで、生八ツ橋が振舞われたそうなのですが、バナナかなにかだと思って素通りしてしまいました。残念!

f0036354_119949.jpg北山大橋を渡ってからは、再び鴨川沿いのコースになります。途中からは車道から下りて土道の河川敷を走ります。30キロ過ぎてかなり足にきていたため、この鴨川の河川敷の柔らかい地面は足に優しくとても走りやすかったです。鴨川を渡り、京都大学の脇を通って百万遍の交差点を右折すると、残り5kmです。東大路通りを左折して丸太町通りへ。もう終わってしまうのかという名残惜しさを感じながらの残り2km。そして平安神宮の赤い大きな鳥居が見えてラストスパート!ゴールでは羽織袴姿の京都市長さんがハイタッチで迎えてくださいました。
タイムは3時間48分。無事完走することができました。

メダルをかけてくださるボランティアの方、誘導をしてくださるボランティアの方、一人ひとりが、ランナーひとりひとりに心を込めて、「おめでとう!」「お疲れ様!」と声をかけてくださいます。走り終えてからメダルやタオルを受け取り、チップの回収を済ませ、更衣室に辿りつくまでの距離がとても短く、誘導もスムーズで、ゴール後のランナーに優しい運営を感じました。更衣室はみやこメッセの広々としたフロアなので、もちろん暖かい室内です。

f0036354_1173248.jpg更衣室の中には、なぜか舞妓さんがいて、一緒に記念写真をとってもらえるコーナーがあったので、もちろん私も記念にパチリ。

京都マラソンは今回初めての参加でしたが、京都らしい風光明媚な景色を楽しめる素晴らしい大会でした。
しかしそれ以上に感動し、驚いたのは、その応援の凄さです。

京都マラソンは、東京マラソンのように沿道に二重、三重の人垣はでききませんが、とにかく道沿いに人が途絶えることなくいて応援してくれるのです。しかもボランティアの方、一般の応援の方、ほぼ全員が、ひとりひとりに声をかけてくれるのです。
そして何といってもハイタッチの嵐。小さな子供から車椅子のお年寄りまで、走ってくるランナーに笑顔で手を差し伸べてくれるのです。
ハイタッチをしたあと小さな子供はぴょんぴょん跳ねて喜んでくれるのです。
そんな姿を見たら、もう嬉しくなって、ハイタッチせずにはいられなくなってしまいます。

結局ゴールまで「ありがとうございます!」と言い続け、ハイタッチしまくるという、かつて経験したことのないフルマラソンとなりました。

実はここ3年以上フルマラソンを走る機会がなかったため、今回の京都マラソンは、完走できるかどうか正直不安でもありました。
しかし京都の人たちの温かい応援でゴールまで走らせてもらえたと言っても過言ではありません。
残りの距離が少なくなってくるのが、こんなにも名残惜しいマラソンなんて今までありませんでした。

「おきばりやす!」優しく温かい京言葉が今でも心の中に響いています。

今回の京都マラソンに合わせ、私たちランナーと同じコースで世界の宗教者による日本初の「Inter Faith駅伝~平和を願う祈りの駅伝」も行われていました。
海外からの8人を含む仏教やキリスト教、イスラム教、神道など40人が10チームに分かれ「祈りの駅伝」と書いた襷で42.195キロを繋いだそうです。
宗教はともすれば争いのもとになる場合もありますが、宗教の垣根を超えて震災復興を祈り、すべての人々の平和と幸せを願い、襷を繋げていくことで、心をひとつにするこういう試みは本当に素晴らしいことだと思います。

時間に追われ、記録を競って走るマラソンも時にはいいでしょう。
しかし、こういう人の優しさや温かさに触れ、人間っていいものだなと感じながら走るマラソンは実に味わい深いものがあります。
フルマラソンを走れる健康な体があることに感謝しながら、京都まで来て走ることのできる環境を与えてくれたたくさんの人達に感謝をしながら、自分自身にとっての走ることの意味や目的を見つめ直すいい機会となりました。この年齢になって初めてマラソンの新たなる魅力を一つ発見したような気分です。

by Ricophoo | 2014-03-01 00:50 | スポーツ | Comments(0)