第11回歴史街道丹後100キロウルトラマラソン その3
2011年 09月 23日
14時間の制限時間以内にゴールすることができたのは1353人の出走者のうち725人。
女性においては182人中、完走できたのは88人。完走率は48.4%ということでした。
去年の100キロの完走率が65%を越えていたことを思えば
今年の激しさを理解していただくことが出来ると思います。
暑さと激しいアップダウンに苦しめられた本当に厳しいレースでした。
丹後の100キロを走りながら、私は、どうしてみんなこんなに苦しいのにウルトラを走っているんだろうと考えていました。
代わり映えのしない日常、つまらないルーティンワーク、ストレスが爆発しそうな満員電車、夢中になれないテレビ、暗い事件や悲惨な事故。
ただ漠然と、生きているだけの実感の無い毎日。
そんな日常で、一瞬でも輝ける瞬間を皆この非日常に求めているんじゃないでしょうか?
普段の生活で100キロを走るなんてことはありえないことです。
まさしくウルトラは非日常以外の何者でもありません。
痛い、苦しい、辛い、嬉しい、楽しい、美味しい…みんな含めて生きている証拠。
ウルトラにはそんな瞬間がたくさん詰まっています。
ゴールをきる瞬間の、開放感と達成感、喜びと感動、
自分を支えるほんの少しのプライドと、そして命の輝きは、
こうした非日常の中にあるのだと言う気がしてなりません。
しかし、100キロを走ったからと言って何かが変わるわけではありません。
たぶん200キロ走っても300キロ走っても、それは同じこと。
明日になれば、いつものように変わらない日常はやってきます。
だけど、ウルトラを走っている間の、痛い、苦しい、辛い、嬉しい、楽しい、美味しい…と感じた心は、その瞬間に確かに私が生きていた証、私の心と身体にしっかりと刻まれた思い出になっています。
辛いから、苦しいからと言って、立ち止まったままでは、ゴールはできません。
足は重くても一歩を踏み出さなければ、ゴールはできません。
つまらなくありふれた日常を何百回、何千回も重ねて、いつかくる人生のゴールを目指して私たちは生きています。
「ワクワクするような明日」や「エキサイティングな日常」はこなくても、あの瞬間のきらめきや、心に刻んだ忘れられ無い思い出があれば、私たちは、いつもの、あのありふれた日常に帰っていくことができるような気がします。
辛く苦しいことがあっても、変わらない毎日を前を向いて生きていける気がします。
さて、次のゴールテープを切るために、また明日から日常を生きていきます。
by Ricophoo | 2011-09-23 23:33 | スポーツ