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赤猫異聞

懸賞 2017年 03月 11日 懸賞

赤猫異聞_f0036354_0373799.jpg浅田次郎著「赤猫異聞」を読了。
稀代のストーリーテラー浅田次郎が描く義理と人情のエンターテイメント小説、まさに浅田文学の真骨頂ここにありき!といった作品だった。

時は幕末から明治維新の混乱の時代。江戸の制度を中途半端に引きずっていた明治元年の伝馬町牢屋敷を襲った大火災の中、解き放たれた三人の罪人。夜鷹の大元締め白魚のお仙、博打打の信州無宿の繁松、江戸市中で官軍の兵隊を夜な夜な斬ってまわっていた旗本の七之丞。鎮火後、三人共に戻れば無罪、一人でも逃げれば全員死罪。全員戻って来なければ同心の丸山小兵衛が切腹という条件。

罪人たちのそれぞれの葛藤。情けや義憤、心の機微が鮮やかに描かれている。しかし、なにより二人の牢役人達の侍としての矜持に強く胸を打たれた。
「法は民の父母なり」ならば、世が乱れて法が父母の慈愛を喪うたとき、その法に携わる者は自らを法と信じて、救われざる者を救わねばなりますまい。おのれ自身が民の父母にならねばなりますまい」丸山小兵衛が末期に言った「お頼み申す」の一言はおのれの介錯を頼んだわけではござりますまい。私に向ってそう言うたのではなく「新しき時代を生くるすべての人々に向うて、この日本を託したのだと思われます。限りなき未来に向うて。ちちははのこころもて、おたのみもうす」と―。
あれから145年たった現代の法は丸山小兵衛の目にどう映っているのだろう?
救われざる者が救われている世の中になったと胸を張って言えるだろうか?

by Ricophoo | 2017-03-11 00:22 |

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